「現代社会と人権」渡辺拓也

四天王寺大学で開講されている「現代社会と人権」のオンライン授業用の教材です。無断転載や受講者以外への不要な拡散は控えて下さい。

自由とは何だろうか

二つの問い

「ホームレスは自由なのか」の答え

 前回は「ホームレスは自由なのか」そして「自由とは何か」の二点について、みなさんの考えを書いてもらいました。いつにも増してたくさん書いてくれた人が多く、自由というテーマにみなさんの関心が高い様子がうかがえました。

 「ホームレスは自由なのか」という問いに対する答えには、大きく分けて三つの立場があります。といっても、ちょっと考えれば分かるように「ホームレスは自由だ」という立場に対する「ホームレスは不自由だ」という意見、そして、その間を取ったような「自由なところもあるが、不自由なところもある」といったものです。

 「それまでの人生をリセットして、新しい自分を生きられる」「好きな時に寝て好きな時に起きる生活が送れる」という意味で、ホームレスは自由だと思うという意見がありました。その一方で、お金や食べることに困ることもあるだろうし、テント村の暮らしも気を遣うことが多く、自由だとは言えないという意見もあります。

 私たちの立場から見て、ホームレスの人たちの生活が自由に思えるところもあるが、不自由に思えるところもある、しかし、それは私たち自身の生活にも言えることだという意見は、「自由とは何か」を考えるための参考となるようなよく練られたものだと思います。

「自由とは何か」の答え

 では、もう一つの問い「自由とは何か」についてはどうでしょうか。『自由からの逃走』を書いたエーリッヒ・フロムは自由には二つあると述べました。個人を縛っていた何かから自由になることと、自分がしたいことをする自由です。みなさんの意見も、多くはこの二種類にわけて考えることができます。

 たとえば次のような意見がありました。

「いつでも帰れる快適なお家があり、安心して眠れる場所があり、困らないほどのお金があり充実していること」

 これは、困った状況に陥らないで済む生活、安心して暮らせる生活を指しています。ユニークな意見として、次のようなものがありました。

「何かをしなくても生活していけて自分がしたいことをしていけるYouTuberみたいな人のこと」

 多くの人が楽しめる動画を作って、自分自身が楽しみながら、のんびり暮らしていけるだけの収入を得られている人の姿に、私たちは自由を感じるのかもしれません。しかし、YouTuberの人は、もちろん何もしていないわけではないし、本当にしたいことだけをしているとも限りません。ホームレスの人たちの生活にも、はたから見ているだけではわからない事情があるように、YouTuberの人にもYouTuberの人なりの苦悩があるかもしれません。

何が自由かを決めるのは誰?

 そう考えると、誰かが自由であるかどうかなど、本人がどう思っているかを確かめなければ、確かなことは言えないのかもしれません。しかし、だからといって、私たちが誰かを見て「あの人は自由だ」「うらやましい」と憧れる気持ちも偽物というわけではありません。「自分もあんなふうに生きれたらいいのに」という憧れの形で自由は確かに存在しているはずです。

 次のような意見を書いてくれた人もいました。

「数学のような答えが決まっているのではなく、答えを自分たちで探し自分なりの答えを持つこと」

 この考えによると、自由とは何かを決めること、考えること自体が自由という言葉の意味にかかわっていることになります。

 次のような意見もありました。

「ホームレスの人は生きるために様々なことをしている。缶集めなどをしてお金を貯めてそのお金で買ってその時に自由というものがあると思う。自由は大変なことをした後に自由があると思う」

 どんな暮らしをしているかは関係なく、それぞれの生き方の中で、自分の力で満足を手に入れることが自由なのだ、というわけです。

自由とは「状態」である

 以上のことを踏まえて、ここでは、自由を次のように定義しておきましょう。

「自由とは自分自身が満足がいく状態、あるいは憧れを抱かされるような他人の状態の呼び名である。ただし、その状態は一時的なものであって、その人に備わる条件ではない」

 ここで重要なのは「ただし」以下の部分です。私は初めておやじさんと出会った時、「不自由だと思っていたホームレス生活を自由に生きているホームレスがいる」と感じました。おやじさん自身がその状態に満足しているように見えたし、ホームレス生活にもかかわらず、笑って楽しそうに生きていられる彼の姿は「自由」だと感じられたのです。

 しかし、公園での生活を知ると、おやじさんの生活には実はストレスも多く、定期的なアルミ缶拾いという深夜の肉体労働によって支えられたものであることが分かりました。

 では、おやじさんは不自由なのでしょうか。何かを得たから、何かを持っているからといって、その人が「常に自由である」などということはないのです。どんないい暮らしをしていても、お腹が空くこともあれば、嫌なことに出くわすこともあるでしょう。つまり、自由とは「条件」として備えることができるようなものではありません。

 私たちは、自分にとって満足できる状態や、憧れを抱くような他人の状態を、「自由」と呼んでしまうのです。そして、その状態とはあくまで一時的なものであって、状況が変わったり、見方が変わったりすれば、そうは思えなくなることもあります。

 私たちは満足のいく暮らしを望んだり、何かに憧れたりしながら生きています。そういった望みや憧れが、一人ひとりの中に意欲を引き出すのだし、そういった意欲を引き出すもののことを、その意味はよくわからないけれども、私たちは「自由」と呼んでいるのです。

 何が自由であるかは、人によって、状況によって、見方によって変わるものなので、他人から押し付けられるものではありません。何が不自由であるかも、誰かに対して勝手に語っていいようなものではありません。人と人との関係は、自由、不自由という言葉を手がかりにしつつも、その先で形成されるものだと言えるでしょう。

次のフィールドへ

フィールドワークの答え

 4回にわたって、ホームレスの人たちのテント村の事例を見てきました。これは私自身が初めて挑戦したフィールドワークでもありました。

 今でこそ、テント村での経験を、テント村の人びとの生活の様子や考え方をふまえてお話しすることができますが、このフィールドワークを終えた直後、私は自分の経験をとても冷静に語ることができませんでした。

 なぜなら、おやじさんの生活の事情やテント村の人間関係について理解するにはもう少し時間が必要だったからです。これまで見てきたように、テント村で過ごした延べ2ヶ月は、最初の滞在時を除けば、理由もよくわからないまま、おやじさんに叱られ、顔色をうかがっているような毎日でした。自分はそこまでひどく怒られるようなことはしていないはずなのに、と素直になれない気持ちもありました。

人生の特訓としてのフィールドワーク

 今思えば、私がフィールドワークに挑戦したのは、「自由とは何か」という問いに取り組むためであると同時に、自分自身が自由だと思える状態に到達したいと思っていたからでした。自分が悩んでいる問いに対して、答えが出せること、答えが出せるような力を身につけたいという思いがありました。その力を身につけるために選んだ特訓がフィールドワークだったというわけです。

 そう考えると、調査を終えた直後の私は、テント村でのフィールドワークの目的を果たせていませんでした。卒業論文を完成させるころには、おやじさんやテント村についてだいぶ理解が進んでいましたが、わだかまりは残ったままだったし、「自由とは何か」という問いに対する答えは見えていませんでした。となれば、人生の特訓としてのフィールドワークを続けるしかありません。

おやじさんのその後

生活保護を受けたおやじさん

 人生の特訓としてのフィールドワークを続ける決意をしたことはひとまずおいておいて、おやじさんのその後をお話ししておきたいと思います。

 2001年の段階で、当時67歳だったおやじさんとその内縁の奥さんは、生活保護を受けることが決まっていました。

 今では、ホームレス状態から生活保護を受けることもできるようになっていますが、かつてはホームレス状態から生活保護を受けるのは難しいことでした。本来生活保護は、憲法で保障された権利であり、誰でも受けることのできる「最後のセーフティネット」と呼ばれるようなものです。

 ところが、ホームレス生活をしている人が生活保護を受けたいと役所の窓口に相談に行くと「生活保護は家がある人のための制度だから、まず家を借りて来い」と言って受けさせてもらえませんでした。

 これを役所による「水際作戦」と言います。困った人が窓口までやってきているのに、制度を申請する手前(水際)で追い払うようなことを当たり前にしていました。ほかにも「65歳にならないと受けられない」「働けるんだからまず仕事を探して来い」など、さまざまな理由をつけて追い払っていました。

 1990年代後半にホームレスの人びとが急増してからは、65歳以上の人はホームレス生活からでも生活保護がいくらか受けやすくなりました。2008年にリーマンショックという世界的な大不況があった時には、製造業派遣の仕事を切られて、年末にホームレス状態に陥った人たちを救済するために東京の日比谷公園に支援団体による「年越し派遣村」が作られました。この頃から、若い人でもホームレス状態から生活保護を受けやすくなりました(とはいえ、このような「水際作戦」は今でもなくなっていません。私自身が生活保護の申請の付き添いで役所に行った際、なんだかんだ理由をつけて申請をさせないように嫌がらせされたことがあります)。

生活保護を受けてから

 2001年の夏頃には、おやじさんはすでに部屋を借りていました。テント小屋にストックされていた家具や家電を新しい部屋に運び込む引っ越しは私も手伝いました。

 生活保護を受けるようになってからも、しばらくはテント村に荷物を置いていたし、テント小屋に泊まるようなこともありました。早く公園の荷物を片付けるように役所の職員に催促され、「そんなこと言われるくらいなら生活保護なんかいらんのや!」と声を荒げる一場面もありました。

 生活保護を受ければ野宿する必要はなくなるし、生活費にも困ることはありません。しかし、おやじさんは仕事がしたかったのです。アルミ缶拾いは別として、拾ってきたものを修理して誰かに買ってもらうような商売を続けたかったのでしょう。最初は、倉庫を借りて、荷物を移動させるようなことを言っていました。

その後の二転三転

 一年半ほど経って大阪を再訪し、おやじさんの携帯電話に連絡を取りました。すると、「以前住んでいた部屋にはもういない。◯◯公園というのがあるから来てくれ」と言います。訪ねていくと、三輪自転車と上に小屋を載せたリヤカーが公園内にとめてあり、おやじさんは、その中で移動野宿生活をしていました。

 生活保護を受けていたはずなのに野宿生活に逆戻りし、奥さんの姿もなくなっています。あとで別の人に話を聞いたところでは、生活保護費が減額されることをおそれた彼は、知り合いの女性に奥さんのふりをするように頼んだのですが、そのことが生活保護ケースワーカーにばれて、保護を切られてしまったということでした。

 次に大阪を訪問したときには、おやじさんは再び生活保護を受けていました。たたみ三畳ほどの狭い部屋に、ビデオデッキやステレオなどの電化製品を積み上げて暮らしていました。リアカーのテント小屋で再開した時は憔悴しきった様子でしたが、この時には余裕を取り戻していました。

生きがいか不自由さか

 しかし、このころの彼はかつてのような魅力はあまり感じられなくなっていました。相変わらずいろんなアイデアを練っていたり、他人を楽しませようとするところはあるのですが、生活がこじんまりとしているように思われました。

 生活費が入ればパチンコに行き、パチンコに負けてお金がなくなってしまえば、狭い部屋でずっとテレビゲームをしています。この時は「バイオハザード」をしていました。

 訪ねていけば喜んでくれるし、パチンコやテレビゲームにお付き合いしたこともありました。しかし、こうした時間はたまらなく退屈で、次第に足が遠のいてしまいました。

 過酷な野宿生活を送っている時には、がむしゃらに廃品回収をして働いていた人が、生活保護を受けるようになると引きこもりのようになってしまうことがあります。

 また、それまでの暮らしでは見たこともなかったような大金が毎月一度に入るので、家賃まで使い込んでしまって部屋を追い出され、野宿生活に逆戻りしてしまう人も少なくありません。

 人と人との関係は、自由か不自由かの先に形成されるものであるという話をしました。野宿生活が過酷なものであることは確かです。しかし、人と人がよく生きられる社会を作るためには、野宿かそうでないかとは別のところにあるものを考えなければならないのではないでしょうか。

今日の課題

 今回はフィールドワークについて考えてみましょう。フィールドワークはなにも人生の特訓と決まっているわけではありません。自分の憧れの場所、憧れる人たちのところで生活してみたいという動機であっても構いません。

 あなたがフィールドワークをするなら、行ってみたい場所、やってみたいことを考えてメールで送って下さい。また、その理由も一緒に書くようにして下さい。宛先はいつものとおり、 jinken.ibu[at]gmail.com ([at]を@に置き換えて下さい)で、件名には「学生番号 氏名 課題番号」(今回は課題6)を書いて下さい。提出は添付ファイルではなく、本文に直接書き込んでくれた方が助かります。