「現代社会と人権」渡辺拓也

四天王寺大学で開講されている「現代社会と人権」のオンライン授業用の教材です。無断転載や受講者以外への不要な拡散は控えて下さい。

働くことについて考える

働くことについて思っていること

 前回の課題では「働くことについて思っていること」を書いてもらいました。これもたくさん書いてくれた人が多く、みなさん気になることやふだんから考えていることが多いのだなと感じました。

 まだ働いた経験もないのに、将来の仕事について考えるというのは結構大変なことだと思います。自分にどんな仕事が向いているのか、どんな仕事をしたいのか、自分が望むような仕事がどこにあるのか、目的を絞っていくまでの過程でつまずく場合もあるでしょう。また、「これが自分のしたい仕事だ」と思って、希望の会社に入れたとしても、自分が思っていたのとは違ったということもあるかもしれません。

何のために働くのか

 何のために働くのかということについて書いてくれた人もいます。ひとつには「自分のため」ということがあります。自分のためといっても、家賃を払ったり、食べ物や着るものを買ったりといった生活のためには働いてお金を稼がないといけないという現実的な理由もあります。「否応なく働かないと生きていけない」ということのほかに「自分自身の楽しみのために仕事をする」「自分が成長するために仕事をする」といった考えもあります。「とにかくお金を稼いでいい暮らしをしたい」というのも「自分のため」に含まれるでしょう。

 また、「他人のため」ということもあるでしょう。「誰かの役に立つ」「誰かに感謝される」、直接相手は見えなくとも仕事をとおして「社会貢献する」ということもあります。結婚して子どもができれば「家族を養うため」という理由もついてくるでしょう。

働くのは嫌なこと?

 働くのは嫌なことだと感じている意見もありました。たとえば「給料をもらっているのに楽しいことなんてありえないような気がする」と書いてくれた人がいました。これは、自分がお金を払う側の立場で考えてみるとよくわかります。「こっちはお金を払ってるんだから、ちゃんと働け」と思うのは自然なことです。アルバイトをした経験がある人は、相手が嫌な人だったり、無茶な要求であっても、がまんして相手をしなければならなかったという思いをしたことがあるかもしれません。また、お金をもらう以上、面倒くさいとかしんどいという理由で簡単に休むわけにもいきません。

 仕事そのものが肉体的にきついということに加えて、人間関係で嫌な思いをすることもあります。嫌なお客さん、無茶なことをいうお客さんの相手をしなければならないということもあるし、一緒に働く仲間や上司が嫌な人間だと、仕事そのものは好きでも働く事は嫌になってしまいます。

安定した仕事につきたい

 嫌な仕事だったり、あまり楽しくない仕事だったりしても、給料が良い、休みが多い、失業する心配がないといった「安定」を重視してその仕事に耐えるということもありえます。実際、私たちが生きているうちにどんなことが起こるかわかったものではありません。今回の新型コロナウイルスの流行もそうだし、近年は毎年のように多くの自然災害による被害を受ける地域があります。どんなに働きやすい職場、好きな仕事でも、会社が潰れてしまえば元も子もありません。

 「AIに仕事を奪われないような仕事につきたい」と書いてくれた人もたくさんいました。「AIによって10年後には今ある仕事の半分が無くなる」などと言われれば不安にならざるをえません。

 安定していると言われる仕事の筆頭に公務員があります。公務員がなぜ安定しているかというと、公務員の給料は税金から出ているので、不況になっても、公務員の給料を払っている国が潰れてしまうことがなければ、公務員の給料が支払われなかったり、失業したりすることはないからです。

公務員が悪者にされているけど

 日本社会の景気が悪くなってからは、公務員という仕事の人気が高まりましたが、同時にやっかみも強くなっています。「みんな苦労しているのに、公務員ばかり優遇されている」「公務員だけ守られていてずるい」といって叩かれるようになりました。公務員の給与を減らしたり、公務員の数を減らして非正規労働者に置き換えたりして、人気を得ようとする政治家もいます。
 確かに、みんなが大変な思いをしているのに、そのみんなの税金から給料をもらっている人たちが安定した暮らしをしているのはずるい気がします。しかし、ここで、もう一度、なぜ公務員の仕事は安定しているのかを考えてみましょう。
 公務員の仕事の安定を保証しているのは、公務員を雇っているのが国だからでした。だったら、国は公務員以外の人も安定した暮らしができるようにしなければならないのではないでしょうか。ずるいのは公務員の仕事が安定していることではなく、国がきちんと仕事をしていないところにあるのではないでしょうか。そして、国がきちんと仕事をするということは、政治家はもちろん、公務員がきちんと仕事をするということでもあります。

 公務員にきちんと仕事をさせるためには公務員の仕事がまず安定していないといけません。政治家は、すべての人が安定した暮らしができるような仕組みを作らないといけません。その政治家が、公務員を叩いて人気取りをするのは、自分の仕事をきちんとしていない代わりに公務員をいけにえにしているようなものです。

誰にも先のことはわからない

 誰にも先のことはわかりません。どんな仕事が自分に合っているのかを見極めるのは簡単ではありません。また、自分にどんなに適性があったとしても、その仕事の求人がなかったり、大災害や大不況にみまわれて仕事を失ってしまう可能性があります。これらは個人の努力や才能では避けられないことです。

 職場の人間関係が悪ければ、違う職場に移ればいいし、対人関係そのものに苦痛を感じるなら、職種を変えるといった選択肢が考えられます。しかし、転職しようにも、その余裕がなかったり、給与が下がってしまうので、家族のことを考えるとがまんするしかないということもあるかもしれません。

 働くことには「嫌なことでもがまんしなければならない」ことが付きまとってきます。しかし、これは何も働くことに限ったことではありません。どんな楽しいことでも、がまんしなければならない嫌なことはあるのではないでしょうか。

 嫌なことでもやらなければならないと割り切ってやる必要はあるし、しかし、その嫌なことは最小限になるように工夫すべきです。AIによって仕事が無くなるのは、人がやっていたことをAIが代わりにやってくれるようになるからです。それなら、AIのおかげで働かなくて良くなったぶんを、人間の楽しみに使えるようにすべきではないでしょうか。

 みんなが不安を感じずに、安心して暮らせる社会、嫌な思いはできるだけせずに済ませられる社会が実現すれば、雇用の安定だけを見て「公務員がうらやましい」などということはなくなるはずです。公務員になりたくないという人もいるだろうし、公務員ではできない仕事もあるはずです。

どのような社会の仕組みが必要なのか

 新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、私たちの生活にさまざな影響が起きて、経済的に困窮する人たちも出ています。「持続化給付金」や「雇用調整助成金」といった事業者向けの助成のほか、個人を対象に家賃を助成する「住居確保給付金」、無利子無担保でお金を借りられる「緊急小口資金」といった制度があります。また、日本で暮らしている人に10万円を無条件で給付する「特別定額給付金」のことはみなさんご存知だと思います。このように、行政は不測の事態が起きた時にも困らずに済むような施策を取ることができます。

 ところが、ホームレスの人たちの多くは、この特別定額給付金を受ける権利がありながら受け取ることができないかもしれません。なぜなら、特別定額給付金の対象となる人は「住民基本台帳に記載されていること」が条件となっており、野宿生活をしていたり、ネットカフェで寝泊りしている人たちは、住民票を置くところがないので、申請することができないからです。

 DV被害にあって避難している人は住民票を元の住所に置いたままであっても、そのことを証明する書類を作成すれば、現住地で受け取ることができます。住民基本台帳は、対象者を補足するための手段であって、助成金を受けられるか否かの資格や条件ではないはずです。

 新型コロナウイルスの感染拡大以前からすでに困っていて、さらに困っているのですから、まちがいなく困っている人たちであるといっていいはずですが、その人たちに給付が行き渡らないようでは、安心して暮らせる社会とは言えません。

 私たち一人ひとりの力は小さなものです。それに対して自然災害や、疫病、社会変動は個人の力を超えたもので、その影響を受けるかどうかには、運の要素もかかわってきます。また、カフカの階段で見たように、一つひとつは乗り越えていけそうかことでも、積み重なるとどうにもならなくなることもあります。前回は、競争に負けたからといって、その人が見捨てられていい理由にはならないことにも触れました。

 私たちは「働く」ということに、知らず知らず縛られているところがあります。「働く」ということで私たちを縛りたい人たちもいます。「嫌なことでもやらなければならないこと」を減らすことはできても、無くすことは難しいと思います。「嫌なこと」でもやりようによっては楽しく感じたり、結果として満足感が得られたりすることもあるでしょう。「働く」ということも、「自由」と同じように、いろんな意味がつめこまれていて、実体がつかみにくくなっています。「働く」ということの意味について、今度は飯場のフィールドワークから理解を深めていきましょう。

どうやって飯場に入るのか

 「わしらがホームレスをやっている理由は飯場に入ってみないとわからない」と言われた私は飯場に入ってみることにしました。

求人広告を利用する場合

 飯場に入るためにはいくつかの方法があります。ひとつには、みなさんがアルバイトを探すときと同じように、アルバイトの求人情報を探すことです。最近では、アルバイト情報誌も無料のものがどこでも手に入るようになりましたし、無料のアルバイト情報誌の多くが、インターネットの求人サイトを持っているので、スマホで気軽に探すことができます。

 インターネット求人サイトでは、職種や労働条件など、希望に合わせた検索ができます。住む家をなくした状態で、住み込みの仕事を探すこともできます。大抵出てくるのは建設業の飯場か、製造業になります。

 スポーツ新聞の求人広告欄で探すこともできます。スポーツ新聞の求人広告の多くは建設業の飯場です。インターネット求人サイトの場合、スペースの制限がないので、その会社のことや労働条件についてくわしく書いてあることが多いのですが、スポーツ新聞の求人広告はほんの小さな囲みしかないので、くわしいことはほとんどわかりません。

路上手配・駅手配

 もうひとつは、路上手配・駅手配と言われる方法です。文字通り、何もない路上や駅の近くで見知らぬ人から声をかけられます。作家の平井正治さんは、この路上手配・駅手配の様子を次のように書いています(平井正治『無縁声声──日本資本主義残酷史』1997年、藤原書店)。

 終電車過ぎて駅におるの見たら、飲んでるわけでもないし、もう帰るところないのやろ、ニイちゃん腹減っとんのかと、まあ飲めやと声かける。それが駅手配。京都の飯場の火事もみなそれで連れて行かれたような連中。

 前回「人夫出し飯場は、住み込みの働き場所を探さざるをえないくらい追いつめられた人たちを狙ってる」という話をしましたが、このように、人夫出し飯場は文字通り困っている人を「狙って」声をかけてくるのです。困っている人が集まりやすいのは駅の周りばかりではありません。

 競艇場からトボトボと日が暮れた道を歩いて帰って来る。そしたら、その競艇場の帰り道に手配師が車持って行って、ちゃんと車の中に缶ビール、ワンカップ、ジュース、弁当、用意して。「ニイちゃんどないしたんや、行くとこないんかい。うちの会社へ来んか。今晩から暖かいところで寝させてやるから、まあまあとにかく元気つけや」と一杯飲ます。もうこの一杯飲んでしもたら帰られん。腹減ってんのやろて弁当出されたら、つい手つけてしまう。「おまえ何か、それで黙って帰るんか」言われたら。そこからヤクザの本性です。

 最初は優しいことを言って親切にして罠を仕かけます。

 「俺べつに、あんたが失業して困ってるやろと思うて、親切に声かけたのに、弁当だけ食うて、はいさよなら、それで通るか、世の中が」。声が強うなってくる。弱みつかまれて、それで飯場へ着いて、翌朝、地下足袋の古いの履かされて、作業服の古、みなくれたと思います。「おい、これ着て行け」、ポーンと放り出す。前に飯場おったんが、帰りしなに捨てていったもんや。ところが、それがみな、勘定日になると、地下足袋、作業服、手袋と、みな引かれます。これも北海道のタコ部屋以来、ずーっといまだにそうです。

 このような業者は、まともに求人広告を出しても応募がないようなところだと考えられます。だからこそ、とりわけ困っているだろう人に狙いをつけ、罠を仕かけて囲い込むのです。罠にはまった方もたまったものではないので、隙を見て逃げ出す人もいます。その繰り返しで無理やり働かせて利益を上げるのですから、ブラック企業の元祖のようなものと言えるかもしれません。

 求人広告で人を募集する業者は、路上手配・駅手配で労働者を集める業者に比べれば、まだマシなのかもしれません。最近では、健康保険や厚生年金といった社会保険に加入できる会社も増えています。しかし、給料は仕事に出た日にだけ支払われる日給月給であることは変わりませんし、飯場の利用料も、仕事の有無にかかわらず天引きされます。これを「飯場の労働条件が改善された」と評価すべきなのか、「不安定な条件でも働かざるをえない人が増えた」と評価すべきなのかは難しいところです。

寄せ場

 もうひとつ、駅手配や路上手配に似たもので、寄せ場での求人があります。寄せ場とは、早朝の路上求人が慣習化した場所のことを言います。駅手配や路上手配は、求人する側が働き手になりそうな人間を狙って声をかけるものですが、働き手の方も「ここに来れば、声をかけてもらえる」「仕事がもらえるかもしれない」となれば、自然と集まってくるようになります。このように、求人側と求職側が相互に出会えるような場所を寄せ場と言います。

 寄せ場は、日本各地に人知れず存在しています。そのなかでも、日本三大寄せ場と言われる有名なものに、東京の山谷、大阪の釜ヶ崎、横浜の寿があります。これらは、寄せ場であると同時に、寄せ場で働く人たちが寝泊りする簡易宿所(ドヤ)が集まっている日雇労働者の街(ドヤ街)でもあります。

 特に、大阪の釜ヶ崎は日本最大の寄せ場であり、日本最大のドヤ街です。1990年代後半に日本全国でホームレスの人たちが急増した時、もっともホームレスの人たちが多かったのは大阪でした。その理由のひとつはこの寄せ場であり、日雇労働者の街である釜ヶ崎の存在が関係しています。大阪市西成区にある釜ヶ崎は、「西成」と呼ばれることもあります。「仕事がなくなっても、西成(釜ヶ崎)に行けばなんとかなる」と言われてきました。一文無しでも、釜ヶ崎にやって来れば、手配師から声をかけられて、日銭を稼いでドヤに泊まることができたからです。

 しかし、釜ヶ崎の仕事が減ったために野宿せざるをえなくなった人がたくさん現れたことが、ホームレス問題の背景にあり、釜ヶ崎の仕事はこの10年、20年でますます減ってきているので、「西成に行けばなんとかなる」とは言いづらくなっています。しかし、いまだにこのような言葉を聞いて、釜ヶ崎にやってくる人は絶えません。

今回の課題

 今回の課題8は、実際に自分が働いてもいい、働いてみたいと思えるような仕事を、インターネットの求人サイトを使って探してみて下さい。ただし、その仕事は、大学卒業後に働いてみたい会社ではなく、今すぐ働かなければならなくなった場合を想定して探すようにして下さい。

 件名に「学籍番号 氏名 課題8」を書いたうえで、jinken.ibu[at]gmail.com([at]を@に置き換て下さい)宛にメールで提出して下さい。メール本文には、選んだのがどんな仕事で、なぜその会社を選んだのか、労働条件などにも言及したうえで、その理由を書いて下さい。また、選ぶのは「ここなら自分も採用される可能性がありそうだ」と思えるようなところにして下さい。

救済課題について

 現在、IBU.netの「課題提出」で、「これまで授業教材に気付いていなかった人のための救済課題」という課題が登録されています。この課題は、課題5まで、授業教材の存在に気付いておらず、まったく課題を出せていない人のために出題する救済措置です。これまでの課題を、とびとびであっても提出している人は取り組む必要はないし、取り組む意味もありません。

出席登録について

 IBU.netのクラスフォーラムにも登録していますが、問い合わせが多いので出席登録について確認しておきます。
 提出してもらった課題は、IBU.netの授業出欠席一覧に登録します。課題の提出の返信は個別にはしません。授業終了後しばらく経ってから、授業出欠席一覧を確認して下さい(提出したのに登録されていない場合は、IBU.netのQ&Aでお知らせください)。

 第1回は4/24、第2回5/1、第3回5/8、第4回5/15、第5回5/22、第6回5/29、第7回6/5、第8回6/12、第9回6/19、第10回6/26、第11回7/3、第12回7/10、第13回7/17、第14回7/31、第15回8/7に対応しています。

 課題1は第1回に、課題2からは第4回以降に登録してあります。授業時間外の特別な課題がある場合、第2回、第3回に登録することになります。課題5は第2回に登録されており、現時点で第3回はどの人も空欄になっています。

 以上です。