「現代社会と人権」渡辺拓也

四天王寺大学で開講されている「現代社会と人権」のオンライン授業用の教材です。無断転載や受講者以外への不要な拡散は控えて下さい。

釜ヶ崎の現在

遠隔授業で大変だったこと

様々なLMS

 前回は遠隔授業で大変だったことについて書いてもらいました。みなさんの体験を読んでいて、PowerPointのスライドしかない授業もあったと知って驚きました。オンライン授業にしても、zoomであったり、Microsoft Teamsであったり、Google Classroomであったりと、授業によって用いるツールが異なって覚えるのが大変だったという体験談も少なくありませんでした。

 これらはLMS(Learning Management System)と呼ばれるようですが、このような呼び名も、今回の遠隔授業が取り入れられるまで、私も意識したことがありませんでした。四天王寺大学のIBU.netもLMSの一つということになるのでしょうが、これまでは出欠登録に用いるくらいで、課題管理や資料共有に用いたことはありませんでした。外部のLMSを用いる以前に、IBU.netは本学の学生が必ず用いるものだろうし、利用方法についても大学から必ず案内があるものと思っていました。しかし、しばらくIBU.netというものがあることを知らなかったという人もいました。

周知不足の問題

 この授業では、基本的にIBU.netの授業資料のところに教材を登録する形で進めました。というのも、4月20日の時点で、5月の授業開始までの休講期間中の課題を出すように大学側から指示があったためです。IBU.netの授業資料のコーナーは、必ず確認するように周知されるだろうと理解しました。ところが、授業資料に教材が登録されていることに気づかず、課題提出に課題が登録されて初めて授業が進行していたことに気づいたという人がたくさんいました(この人たちには救済課題を出しました)。

 動画の最後に課題が出されていることに気づかず、しばらく放置していて、後でそのことを知って焦ったという体験談もありました。なかなか課題が提出されない人がいましたが、なるほど、こういう背景があったのかと納得しました。

課題疲れ

 世間一般でも言われていることですが、課題の多さに辟易したという話もありました。オンデマンド授業である以上、誰が視聴したかを確認する手段がないため、出欠確認も兼ねて必ず課題を提出してもらわなければなりません。課題が負担になりすぎないように、この授業では平常の課題は控えめにしたつもりでしたが、実際のところどうだったでしょうか。内幕を明かせば、授業内容に関連した課題を考えるのは結構大変で、また、せっかく提出してもらった課題を授業に反映しないわけにもいかないと、毎回頭を悩ませていました。

 課題の提出方法についても、授業ごとにいろんな形があったようです。「レポートのコメント欄に直接書き込む」「毎回Wordでレポートを書いて提出」「Gmailで提出」「Google Classroomで課題提出」「紙のレポートを作成し教務課に郵送」など、実際にあげてくれたものだけでも様々です。提出期限がバラバラだったり、授業はzoomでも「夜21:45から」というものもあったと知りました。

この授業の場合

 この授業の教材は、最初はパスワードをかけていましたが、うまく開けない人が散見されたので、すぐにパスワードをかけるのはやめました。ネットの回線環境の問題を考えて、動画だけでなく、ブログでも同じ内容を配信するようにしました。授業時間中に質問を受け付けるための掲示板も設けましたが、こちらは使われることはありませんでした。

 ブログは動画を収録する際の台本のような意味もありました。内容が同じなら、動画は配信しなくてもいいのではないかと思わなくはありませんでした。文章で読んでしまった方が、時間もかけずに済みます。しかし、動画の再生回数を見ると、ほとんどの人が動画を視聴してくれていたようです。また、教員の顔がわからないと質問をする時にためらいがあったという意見もあり、面倒でも動画の配信はしてよかったと思いました。

釜ヶ崎の現在

釜ヶ崎のセンター

 釜ヶ崎は、行政の用いる言葉では、あいりん地区、あるいはあいりん地域とも呼ばれます。これらは、前回の暴動をきっかけに釜ヶ崎に対して行われるようになった「あいりん対策」の対象範囲を定めるためのもので、管理対象として指定された釜ヶ崎の範囲は0.62平方キロメートルになります。

 釜ヶ崎にはいくつか特徴的な場所があります。その一つが「センター」です。センターは、JR環状線新今宮駅の向かい、南海線に面して建つ巨大な建造物です。正式名称を「あいりん総合センター」と言います。あいりん総合センターには、いくつかの施設が入っています。あいりん公共職業安定所と西成労働福祉センターを合わせた「あいりん労働福祉センター」、大阪社会医療センターという病院、それから、市営住宅もこの建物の中に組み込まれています。センターの中にセンターがいくつも入っていることになるのでややこしいのですが、釜ヶ崎の労働者にとって「センター」といえば、仕事を探しに来る場所です。

仕事を探しに来る場所としてのセンター

 前回も見たように、1960年の朝日新聞ルポルタージュには「4,000人もの日雇労働者が仕事を求めて集まってきている早朝の寄せ場の風景」が描かれていました。この当時の寄せ場とは、幹線道路沿いの広場で、本当の意味での青空求人市場でした。センターが完成したのが1970年のことです。センターが完成してからは、主にセンターの1階部分で日雇求人が行われるようになりました。

センターの職業紹介

 先ほど、センターの中に入っている施設として西成労働福祉センターという名前が出てきました。西成労働福祉センターは大阪府の外郭団体です。釜ヶ崎で求人したい業者は西成労働福祉センターに登録しなければいけません。西成労働福祉センターに登録した業者は、相対紹介と窓口紹介の二通りの方法で求人をすることができます。

 窓口紹介とは、朝10時20分からセンター3階にある西成労働福祉センターの窓口で求人する方法です。事業者はここで求人票を掲示してもらい、仕事を求める労働者はこの求人票を見て事業者に連絡を取り、仕事に行きます。

 相対紹介とは、早朝のセンターの1階で、事業者と労働者が直接やりとりをして仕事を紹介するものです。1階といっても、出入口のある建物ではなく、早朝5時に建物の外周のシャッターが上がると、そこは通り抜けのできる広大なスペースになります。事業者はこの周りに車を停め、西成労働福祉センターに発行してもらった求人プラカードをフロントガラスに載せて求人をします。求人プラカードには仕事の条件が書かれており、労働者はセンター1階を回って、自分が行きたい仕事を探します。

 早朝5時にセンターのシャッターが上がるといっても、実際の求人はこれより早くはじまっています。事業者の中には、センターから離れた路上で求人するものもあります。西成労働福祉センターが発行するプラカードを用いずに行われる求人は、闇求人といって、本来なら違法です(もっとも、相対紹介自体、元々は違法な路上求人を部分的に合法化したものでしかありません)。

あいりん職安と白手帳

 センターの3階は、1階の広大なスペースそのままのスペースがあり、北側にあいりん公共職業安定所、南側に西成労働福祉センターがあります。また、いくつかの食堂の屋台も出ています。

 あいりん公共職業安定所は、職業安定所という名前が付いているものの、職業紹介をしていません。あいりん職安の仕事は「日雇労働求職者給付金」という、日雇労働者のための失業保険を給付することです。この制度は「あぶれ手当て」「白手帳」などともいわれます。

 あぶれ手当ての給付を求める人は、登録するともらえる手帳(表紙が白いので白手帳と呼ばれる)に失業保険の雇用保険印紙を貼る必要があります。日雇労働求職者給付金の登録事業所では、労働者が希望すれば、仕事をした日には白手帳に印紙を貼ります。印紙は有料で、事業者と労働者が分担して負担します。日雇労働の日当によって印紙の等級が決まっており、高い印紙であるほど、失業保険の給付額も大きくなります。この印紙が2ヶ月で26枚以上貼ってあると、その翌月に、仕事につけなかった日が2日続くと2日目から、13日を上限に失業保険が給付されます。日頃からがんばって印紙を貼っておけば、仕事に行けなかったり、雨で仕事がない日が続いたりしても、失業保険でやり過ごすことができるというわけです。

西成労働福祉センター

 先ほど出てきた西成労働福祉センターは、釜ヶ崎での職業紹介を仲立ちするほかにも、無料の職業訓練の機会を提供したり、労災を受ける時の手助けもしてくれます。

 日雇労働者でも、仕事中に怪我をすれば、労災保険の対象となります。元請会社は労災保険に入る義務があるからです。しかし、通常、労災のお金が入ってくるのは翌月のことになります。普通に働いている人であれば翌月でも困りませんが、その日暮らしをしている日雇労働者の場合、怪我をして次の日仕事に行けなければ、すぐに生活に困ってしまいます。そこで、西成労働福祉センターが療養中の生活費を貸し付けてくれます。1ヶ月後に労災保険のお金が出れば、そこから返済すればいいし、怪我が治ればまた働けばいいわけです。

日雇労働者を助ける仕組み

 このように、センターには日雇労働者を助ける仕組みがたくさん用意されています。センターの地下にはシャワー室があります。

 大阪社会医療センターという病院では、無料低額診療といって、無期限無利子の貸付けで診察してくれます。これは、お金のない人は、ある時に払ってくれればいいということです。

センターに集まる人びと

 センターのシャッターは早朝5時に上り、午後6時に閉まります。一番人が多いのは早朝の求人の時間帯です。しかし、この時間帯以外も、センターには一日中利用者の姿があります。というのも、センターは労働者の情報交換の場でもあるからです。

 その日は仕事をするつもりがなくても、どれくらい仕事があるのか、どんな会社が求人に来ているのかをリサーチしにくる人もいます。センターにくれば顔見知りと出会うこともあるので、お互いの最近の状況を確認しあったり、そのまま一緒に遊びに行くということもあるでしょう。

 釜ヶ崎の労働者が泊まっている簡易宿所は、広いところでも畳にすれば3畳程度しかありません。狭い部屋の中で一日中じっとしていても退屈だし、友だちを呼ぶこともできないので、自然と外に出るようになります。外に出た時に、自然と足の向く場所の一つがセンターです。

 センターには、さまざまな情報が集まります。みんなが仕事探しに集まるのはもちろんだし、いろんな情報を伝えたい労働団体や支援団体がセンターに張り紙をしたり、ビラを撒いたりします。定期的にセンターで弁当やパンなどを配る団体もあります。また、行方不明になった家族や知人を探しに訪れるという人もあります。

センターで休む人たち

 センターの1階と3階で休む人たちもいます。特に、抜け道として人が通り抜けていくことも多い1階と違い、3階は職安と西成労働福祉センターに用事がある人以外は上がってこないので、静かに過ごすことができます。ダンボールを敷いた上に布団や毛布、寝袋で横になっている人が多いのもセンターの3階です。

 アルミ缶やダンボールなどの廃品回収をするのは夜間から早朝にかけてになります。したがって、野宿生活をしている人たちが休むのは日中になることが少なくありません。また、商店街のアーケードや路上で野宿していても、襲撃の危険があったり、夜中でも人通りがあったりして、落ち着いて寝ることができません。センターであれば、昼間しか利用できないとはいえ、安心して休むことができます。

 センターで休んでいる人たちは、日雇労働に行くことが難しくなった人が多いようです。毎日仕事に行くのは体力的にきつい、怪我をして仕事に行けないので、夜間は釜ヶ崎にあるシェルターに泊まり、昼間はセンターで過ごして、炊き出しに並ぶという人もいます。仲間が紹介してくれる仕事で日銭を稼いでいるという人もいます。

 「生活保護を受ければいいのに」と思うかもしれません。しかし、彼らは「本当にどうしようもなくなるまでは自分でなんとかしたい」と思って、このような生活をしています。ほかに休める場所がないということもありますが、自分はまだ労働者であるという気持ちがあるのだと思います。センターから仕事に行くのは実質的には難しくても、センターという場所に来てなんらかのチャンスを探そうとすることで、まだ労働者であり続けることができるのではないでしょうか。「仕事があればしたい」「センターにずっと助けてもらっていた」と語る人に出会ったこともあります。

労働市場としての釜ヶ崎の衰退と見えなくなる労働者の姿

 これまでセンターという場所について話してきました。しかし、実は、これは2019年の3月末までのセンターの姿です。現在、大阪社会医療センターは元の場所で診察を続けていますが、あいりん公共職業安定所と西成労働福祉センターは、南海線のガード下に仮移転しており、センターのシャッターが開くことはありません。

 1970年に建てられてから、すでに50年が経過しており、センターの建て替えは長い間、行政課題となっていました。1990年代以降、釜ヶ崎の求人数は減少を続けており、労働者が高齢化する中、生活保護を受けるようになる人が増え、そのような人たちの受け皿となる福祉アパートも増えました。釜ヶ崎の街の将来がいずれ課題となることは明らかでした。また、このような課題を作り出した責任の一端は、前回ふれたように、建設需要が高まった時代に単身男性日雇労働者の街を作ってきた行政にもあります。

 実際に釜ヶ崎の求人数は減ってきているし、新しく若い労働者がやってくることも少なくなっています。その背景には、これまで見てきたように、求人広告を用いた、寄せ場以外の求人手段が発展したことがあります。また、簡易宿所に泊まって仕事を探す労働者を当てにするのではなく、最初から飯場に労働者を囲い込むような業者が増えたことも指摘されています。

 かつての釜ヶ崎の労働者が担っていた役割を果たしている労働者がいなくなったわけではないし、釜ヶ崎の労働者がいなくなったわけでもありません。しかし、釜ヶ崎にたどり着くのは、本当に仕事がなくなって、ギリギリのところまで来た人たちになっています。どこかに労働者はいるはずなのに、労働者の姿が見えなくなっているのです。

困っている人が集まる場所

 現在は、特定の場所に人を集めなくても働き手を調達できるような仕組みが作られています。そして、人を集めるのは、にぎやかで、消費を楽しめる場所であって、そのような場所はお金を儲けるために作られています。

 かつては、下手に人を集めて、不満を持った人たちが暴動を起こすことが恐れられていました。それでも人を集めなければ働き手が得られなかったのです。そのため、必要だから集められているにもかかわらず、社会一般からはタブー視され、無いことにされている釜ヶ崎のような場所は「隠蔽された外部」と社会学では言われていました。

 私たちの暮らしている社会は、そのような場所を無くそうとしてきましたが、そのような場所を無くすことは、無理だし、表面的に無くしてしまうことは危険だと私は思います。この社会がにぎやかで楽しい場所ばかりになっても、にぎやかで楽しく暮らせない人たちがいなくなるわけではありません。にぎやかで楽しい社会の陰で、苦しくとも苦しいと言い出せない人たちがいます。そのような人たちの居場所が次々に奪われていくと、最後に行き着く場所は限られてきて、結果的に一ヶ所に人が集まることになります。釜ヶ崎は最後に残された避難場所のようなものです。困っている人たちが集まってくるからこそ、私たちの社会は私たちの社会にさまざまな問題が隠されていることに気づくことができます。 

民営化の二つの方向

 2012年に大阪市で始まった西成特区構想について、当時の橋下市長は「西成が変われば大阪が変わる」「西成をえこひいきする」といって注目を集めました。ここでの「西成」は、暗に釜ヶ崎であり、あいりん地域を指しています。釜ヶ崎に集まる人びとがさまざまな問題を抱えていることは確かでしょう。しかし、それらの問題は、その人たちに責任があるわけではありません。また、その人たちの抱える問題が解決されなければならないのは、その人たちが幸せに暮らせる権利を保障するためであって、大阪を変えるためではありません。

 西成特区構想では、地域住民の参加を求めるまちづくりの仕組みを釜ヶ崎に徐々に取り入れるようになります。現在の大阪の政治のキーワードは民営化です。これは日本全体にも当てはまるかもしれませんが、特に最近の大阪で顕著であり、独自の施策も目立ちます。民営化とは、それまで行政が担っていた部分を行政以外の立場の人びとの管理に移行することと言ってよいでしょう。そして、民営化には二つの方向があります。

 一つには、前回ふれたように、公園や図書館といった公共施設の管理を民間事業者に委託し、商業化することです。これらの施設は、商業化によって見た目がきれいになり、訪れる人も増えるため、にぎわいが生まれたと喜ばれます。また、民間委託したことで、管理費用が安くなった、あるいは「儲かるようになった」ことも利点として語られます。もう一つの方向は住民参加型のまちづくりです。行政がトップダウンで決めていたことを、住民同士の話し合いを通して決めるようにする、地域住民で協力して街の課題を解決するといえば、これも良いことのように思われます。

 しかし、気をつけなければならないのは、こうしたことを取り入れる理由として、コストカットがあるという点です。本来お金にならない公共施設の管理を民間事業者に任せれば、利益が生まれるかもしれませんが、公共施設の役割そのものが変わってしまいます。住民参加の問題解決を助け合いと考えれば、すばらしいことかもしれませんが、そもそも住民で解決できないことを解決するために行政があることを忘れてはいけません。

あいりん地域のまちづくり

 労働者の街としての釜ヶ崎はさまざまな問題を抱えていることは確かです。求人の減少や労働者の高齢化といった変化への対応も必要となるでしょう。そして、そのような地域の問題に向き合おうという地域の人びとの取り組みも存在していました。西成特区構想は、これらの取り組みを政策の中に組み込む仕組みを用意しました。

 住民だけで解決できない問題があることは確かで、そこに行政がかかわる仕組みを用意してくれるというのは、願ってもない話と言えるかもしれません。しかし、そもそも住民で解決できない問題に住民がかかわらなければならないとしたら、それはどのようなかかわりでしょうか。「あいりん地域のまちづくり」として始まった会議は、あいりん総合センター建て替え問題を中心議題とする形で集められました。そして、6回に渡る会議の末に、あいりん総合センターを今ある場所に建て替えることが決まりました。

 センターは日雇労働者の街の核となるような大切な場所であり、会議の中心議題となるのも不思議はありません。会議に参加していたのは、さまざまな人たちでした。釜ヶ崎労働団体や支援団体もありましたが、地域の町会の人たちも参加していました。しかし、日雇労働者の街の主役であるはずの労働者や、かつて労働者であり、住民の割合の多くを占める生活保護で暮らす人びとの声が十分に反映されたものとは言えません。

センター閉鎖阻止と強制排除

 建て替えをするためには、現在のセンターの仮移転と閉鎖が必要になります。それぞれの施設の仮移転はできても、1階と3階で休む人たちのための代替地が用意されたわけではありませんでした。釜ヶ崎にはセンターの閉鎖や建て替えそのものに反対する人もいます。2019年3月31日、センターで二度と上がることのないシャッターが下されようという時に、閉鎖に反対する人たちが集まり、結果として閉鎖は阻止されました。そして、閉鎖に反対する人たちがセンターを占拠し、24時間開放されたセンターは、多くの人びとが体を休める場所、交流する場所であり続けました。

 しかし、4月24日の正午、警察の機動隊と大阪府の職員数百名が突然現れ、センター内にいた人びとは強制的に排除され、シャッターが下されることになりました。まちづくりの会議の場所では、行政の立ち合いのもとで話し合いがされ、民主的な決定がなされたのかもしれません。しかし、会議の場の外に目を向ければ、話し合いから取り残された人たちがおり、暴力にものを言わせた強制排除が起こっています。

 「西成特区構想によって西成は良くなった」「不法投棄が減ってきれいになった」と当時の大阪市長は胸を張って言っていました。しかし、依然として野宿生活を送る人たちはセンターの周りにあふれているし、不法投棄も無くなっていません。そのセンターの解体は2020年度内に着手されるスケジュールになっています。

 住民に解決できる問題とできない問題があるのに、問題解決のお墨付きに利用されるまちづくりでは意味がありません。

不当性の感覚と理解の学び

 私たちの社会には、あるがままの存在から目を逸らさせるような排除の仕組みがさまざまなところに仕掛けられ、作動しています。こうした排除の仕組みに気づくためには、一人ひとりが不当性の感覚を磨かねばなりません。「何だかおかしい」と感じるところからはじめなければならないし、「何だかおかしい」という感覚を理解につなげるためには、学びが必要です。この二つのことを、今後の大学生活のなかで、覚えておいてくれるように願っています。

今回の課題

課題14

 今回は、この授業を終えての感想を書いて提出して下さい。また、感想とは別に、遠隔授業としてのこの授業で困ったこと、大変だったこと、または他の遠隔授業と比べて良かった点などがあれば、今後の参考にさせていただくので書いてもらえると助かります。課題は、件名に「学籍番号 氏名 課題14」を書いたうえで、jinken.ibu[at]gmail.com([at]を@に置き換て下さい)宛にメールで提出して下さい。

最終レポート課題(再掲)

 また、前回の授業でも予告した最終レポート課題も、IBU.netの課題提出から登録することを忘れないで下さい。締め切りは最終授業日中です。

本のおすすめ

 この授業の内容をもっと深く学びたいという人は、洛北出版から刊行されている拙著『飯場へ——暮らしと仕事を記録する』という本を読んでみて下さい。学問もフィールドワークも、究極的には自分自身と向き合う孤独な作業です。この孤独な作業を循環させるのは、やはり本を読むという営みにかかっているのだと思います。

【学期末の授業評価アンケートにご協力下さい】

 学期末にIBU.netから授業アンケートに回答して下さい。このアンケートで個人が特定されたり、回答結果が成績に影響することはありません。授業の改善のために活用されます。

 授業評価アンケートは、IBU.netのメニュー画面の「授業評価アンケート回答」から「授業評価アンケート検索」にアクセスし、受講している授業のアンケートに回答して下さい。