飯場の労働文化
経験豊富な者からそうでない者への手助け
前回の課題では、経験豊富な者からそうでない者への手助けについて、みなさんがこれまで経験したことについて書いていただきました。特に多かったのはやはりアルバイトや部活動での経験でしたが、道に迷っている時に、見知らぬ人に親切にしていただいた経験をていねいに書き起こしてくれた人もいました。
アルバイトの経験として面白かったのが、コンビニのアルバイトのエピソードでした。自分自身が新入りのアルバイトを迎え入れる時に、なるべくフランクに話しかけて仕事を教えてあげるというのです。その理由は、コンビニの仕事はとにかくヒマな時間が多く、アルバイト同士が話をして時間を潰すことが多いからだそうです。この時間を違和感なく過ごすために、人間関係を良好に作っていけるような配慮を心がけているというエピソードは、なるほどと思わされました。
直接的な見返りも求めずに、誰かが誰かに親切にするのはどうしてでしょうか。まず、前回の寄せ場や飯場の労働者同士の関係にもあったように「自分もかつては何も分からずに困っていたところを助けてもらったことがあるから」つまり「お互いさま」だという意識があります。
また、自分自身が助けられた経験はなかったとしても「自分が困った経験があるから、ほっておけない」ということもあると思います。初めてそのことをやる人、初めてそのような状況に陥った人にとっては「できなくて当たり前」である、「わかるはずがない」ことを、苦労したのちに理解したという経験を持つ人は、かつて大変な思いをした自分のことを思い出して、「なんとかしてやりたい」「あの時、助けてくれる人がいれば」と思って、過去の自分を助け出すような気持ちになるのかもしれません。
「ちゃんと教えておかないと、あとあと自分たちが困るから」という理由がある場合も考えられます。早く一人前になってもらわないと、結局自分たちの仕事が増えてしまうから、きちんと教育をしておいた方が、結果的に自分たちのためになるというわけです。
助け合いの原資
誰かを誰かが助けようという気持ちになるのは、助け合いの原資(元手)となるようなものが、私たち一人ひとりの中にストックされているからではないでしょうか。かつて「助けてもらった経験」があって、それを別の困っている人と出会ったときに返そうという気持ちになるのは「助け合いの原資」が働いているからです。
また、自分がまったく経験したことのない世界に入っていこうというときに、不安を抱えながらも、仲間と認めてもらえるようにがんばろうという気持ちになれるのは「かつて、受け入れられた経験」があるからではないでしょうか。相手がどんな気持ちで自分のことを受け入れてくれたのか、本当のところはわかりません。相手には相手の思惑があるかもしれません。しかし、新参者にとっては「受け入れてもらえた」と感じられた事実が重要で、それは不安を抱えながらもがんばりたいと思っていた自分が受け入れられた経験となります。
助けてもらえることを期待しつつ、とにかく最初はがんばろうという気持ちになれるのもまた、助け合いの原資の別の側面だと言えます。助けてあげようという気持ちだけがあってもダメだし、がんばって認められたいという気持ちだけあってもうまくいきません。人と人がいっしょに何かを作り上げていくためには、どこかで計算を超えた、重なり合う似たような経験の蓄積が必要になるのではないでしょうか。
飯場の仕事
手元の役割
飯場で働く労働者の仕事はよく「手元」と言われます。「手元」という言葉は、特別な資格や技術は求められず、誰かの手伝いをする補助的な役割であることを示しています。
これまで見てきたように、飯場の労働者は、現場で人手が足りないときにだけ呼ばれる「日雇い労働」なので、今日仕事に呼ばれたからといって明日も呼ばれるとは限りません。毎日仕事があるとしても、昨日と同じ会社に行くとは限らないし、同じ会社であっても昨日とは違う現場で、違った人たちと一緒に働くことになるかもしれません。一緒に仕事に行く同じ飯場の仲間にしても、誰と一緒になるかはその日になってみないとわかりません。みんな契約で入ってきた日が異なるので、昨日まで一緒に働いていた人が今日はもう飯場からいなくなっているかもしれないし、次々と新しい人が入ってきては出て行くのが当たり前です。
飯場労働の心得
すでに述べたように、飯場の仕事は「特別な資格や技術は求められず、誰かの手伝いをする補助的な役割」である「手元仕事」です。「誰にでもできる」「代わりはいくらでもいる」と軽く見られるようなところもあります。しかし、この手元仕事には、いくつかコツのようなものがあり、このコツをふまえていないとうまく働くことができません。
飯場労働にはいくつかの心得のようなものがあります。これを、ここでは「飯場労働の心得」と呼んでおきましょう。飯場労働の心得には、次の三つがあります。
- 「手元は言われたことをやっていればいい」
- 「働きすぎてはいけない」
- 「怠けているように見られてはいけない」
手元は言われたことをやっていればいい
この言葉は、飯場労働の現場でよく耳にする言葉です。わりとベテランの労働者でも「わしらは手元やからな、言われたことをやっとったらええ」などと言います。
「特別な資格や技術は求められず、誰かの手伝いをする補助的な役割」とは、裏を返せば、いろんなことをやらなければならない仕事ということです。何をやらされるかはその日になってみなければわからないし、同じことをやらされる場合も、現場によって考慮しなければならないことが違ったり、相手によってやり方が異なったりすることがあります。「こんな仕事は大して難しくない」と分かっていても、まずは何をどのように求められるかに耳を傾ける必要があります。
これは、飯場の労働者を使う側(使用者)にとっても大切なことです。さして難しいことではないからこそ、変なことをせずに、言われたとおりにやって欲しいという思いがあります。使用者にとっても「言われたことを言われたとおりにやってくれる」ことは評価に値することなのです。
また、どんなにベテランの労働者でも、初めてやらされることはいくらでもあります。そんな時は、やったことのないことを勝手な推測で無理にやるのではなく、「やったことがないからわからない。教えてもらわないとわからない」と素直に言いやすくしておく方が都合がいいという事情もあります。「わからないことを恥じる必要はない」と思っておくことも、飯場労働の心得なのです。
働きすぎてはいけない
次の心得ですが、「労働の心得」が「働きすぎてはいけない」というのは、奇妙に思えるかもしれません。使う側の人間も、怠け者では困るはずです。しかし、まずは働く側の立場から考えていきましょう。
飯場の労働者は日雇いなので、一日しっかり働かなければお金をもらえません。どんなに肉体的につらい仕事でも、一日働き切る必要があります。したがって、ある程度のペース配分は必要だし、場合によっては手を抜く必要もあります。
使用者側から考えてみても、必要もないのにがむしゃらに働かれては困るという事情もあります。現場では、しょっちゅう掃除や片付けの仕事をやらされることがあります。これは、その時に、ほかにやらなければならない仕事がないからです。
必要なものを運んでもらうとか、何かを手渡してもらう、持ち上げてもらうといった些細なことでも、誰かいてくれなければ仕事に差し支えます。そういった「誰にでもできる」けれども、「誰かいてくれなければできない」ことをするのが手元の役割です。しかし、労働時間のあいだ、常にそばにいてもらわなければならないということはありません。「今はゆっくりしておいてくれればいい」「ちょっと時間を潰しておいてくれ」という時があります。そういう時には「掃除でもしておいてもらおう」「片付けでもしておいてもらおう」と考えます。こういう時には、やる気を出して一生懸命働いてくれる必要はありません。「働きすぎなくていい」のです。
怠けているように見られてはいけない
このように「働きすぎてはいけない」というのは、単に労働者側の手を抜こうという考えではなく、使用者側の事情でもあることも理解しておかなければいけません。しかし、やはり怠けていると思われると良くありません。
「掃除でもしていてくれ」「片付けでもしておいてくれ」といっても、あからさまに怠けている態度を見せるわけにはいきません。がむしゃらに働くことを求められていない場面でも「怠けているように見られてはいけない」のです。
そこで、飯場の労働者は、大変ではない範囲で「ムダ」な作業をして、怠けていないことを印象付ける必要があります。「やらなくていい」と言われたとしても、土を平らにならしたり、転がっている石を拾ってよけたり、「気が利く」ところを見せておく必要があります。逆説的な言い方になりますが、「気が利く」ところを見せるには「ムダ」なことをやる必要があります。「やって当たり前」「やらないといけないこと」だけをやっていてもアピールにはなりません。
「言われたことをやっていればいい」、「働きすぎてはいけない」、「怠けているように見られてはいけない」の三つは、相互に矛盾しているように見えるかもしれません。しかし、これらは別々に理解していてもダメで、それぞれを場面に応じてうまく使い分けること、演じ分けられることが、飯場の労働者として「分かっている」ということなのです。
飯場労働者の行動様式
「飯場労働の心得」を見た上で、飯場労働者の行動様式についても確認し直しておこうと思います。ここでの飯場労働者の行動様式とは、前回触れた「初心者へのフォロー」と「有能さへの志向」のことです。
飯場の労働者は誰しも、この二つのことを大切にしています。あまり仕事を知らない初心者を見かけると「誰にでも初めてはあった」といって、親切に教えてくれる人がいます。初心者は、先輩労働者にフォローしてもらいながら、仕事を覚え、スムーズに飯場労働には適応していくことができます。
このような面倒見の良さは、労働者自身の働きがいにかかわっています。前回も述べたように、飯場の労働者にとっては、実際の仕事ぶりで評価されることに意味が置かれています。ふだん偉そうなことを言っているゼネコンの社員であっても、実際に仕事をやらせてみたら手際が悪いということがあります。仕事をスムーズに進めるためには、難しい資格を持っているとか、責任者の立場にあるとかいったことは関係なく、ちょっとした工夫を思いついたり、機転が利くかどうかが重要になってきます。つまり、現場の仕事をしているなかで、手元の労働者の方が活躍できる場面は少なくないのです。
また、仕事をスムーズに進めるためには、一人ひとりの労働者の能力や体力の差を考慮する必要があります。うまく仕事を進めるためには、初心者のフォローもうまくする必要があります。有能さへの志向は、初心者へのフォローを下支えするものになっており、飯場労働者の行動様式は、それそのものが新たに入ってくる労働者にその行動様式を身につけさせ、伝え続けていくような「文化」になっているのです。
労働者同士のすれ違い
飯場の労働者は、このような行動様式を持っていて、仲間同士で助け合うし、基本的にはよく働く人たちだと言えます。しかし、総体としてはこのような気持ちのいい労働者同士が、働くなかで、すれ違ってしまうことがあります。
ここには、労働者同士の立場の違いが関係しています。飯場の労働者は、経験の違いはあっても基本的には同じ待遇で働いています。しかし、本人が一つの飯場に居続けたいと思っているかどうかで、微妙に立場が違ってきます。
固定層と流動層
飯場の労働者のタイプは、大きく分けて固定層と流動層があります。固定層とは、一つの飯場にずっといたいと思っている人たちで、流動層とは、その飯場にいるのはたまたま仕事があるからで、お金が貯まったらいずれは出て行こうと思っている人たちです。
固定層の中にも、細かく見ていくと微妙な立場の違いがあります。固定層の人たちは、長く一つの飯場にいるので、取引先の会社の人たちとも顔なじみで、ある程度の信頼関係もできています。固定層の人たちは、言ってみればその飯場の主力となる人たちで、仕事が少ない時期でも優先的に仕事を回してもらうことができます。ただし、優先的に仕事を回してもらえる固定層のポジションは限られているので、飯場への長年の貢献度に応じて、仕事を回してもらいやすい人とそうでない人の差が出てしまいます。あまり仕事を回してもらえない、固定層の中でも相対的に日の浅い人たちは、あまりに仕事が少なければ別の飯場を探さなければいけないかもしれません。
流動層の人たちも、細かく見ていくと微妙な違いがあります。一日働くだけでお金のもらえる〈現金〉仕事があれば、本当は飯場に入らずに生活していきたいと人たちは、とにかく飯場にいるのは最短にしておきたいと考えます。なので、流動層のなかでも、特に入れ替わりの激しい層があります。それに対し、ずっとその飯場にいるつもりはないけれど、仕事がある間はしばらくいてもいいと考えて、〈契約〉を何回か更新するタイプの人たちもいます。
人夫出し飯場は、仕事の量に応じて労働者の人数を調整しなければならないので、固定層と流動層という二つの立場、二つの考え方があるのは、都合のいいことだと言えます。
固定層と流動層のすれ違い
固定層も流動層も、仕事においている価値は変わらないのですが、どうしてもその立場の違いが働き方に影響してしまう場面があります。
すでに述べたように、固定層はその飯場の付き合いのある会社の人たちと信頼関係ができています。そのため、現場で誰かリーダー役が求められる場合には、固定層が任せられることになります。また、固定層でなくても、現場で労働者を使う人たちにとっては、何度も一緒に仕事をしている人の方がいろいろ頼みやすいので、流動層であっても、長いこと飯場にいる人ほど、リーダー役を任される可能性が高くなります。何度も同じ現場に来てくれている人の方が、現場の状況もよくわかっており、説明の手間が省けるということもあるのでしょう。しかし、この場合でも、流動層と固定層の両方がいれば、固定層の方が優先的にリーダー役を任せられることになります。
リーダー役の苦労
リーダー役を任せられるということは、取引先の会社の人に認められているということでもあるので、悪い気はしません。しかし、リーダー役を務めるとなると、いろいろと苦労もあります。
流動層の最たるものは、〈現金〉でその日だけやってくる人たちです。その日だけ働きに来ているからと言って、いい加減な働き方をするわけではありません。この人たちもやはり「有能さへの志向」は持っています。しかし、何せ現場についての予備知識がないので、リーダー役になれば、やって欲しいことや、現場での注意事項などを伝えなければいけません。仕事が忙しい時期になると、特に労働者の入れ替わりは激しくなるので、固定層は「だんだんいうこと聞かんやつばかりになってくるわ」などと、こぼすようになります。
労働者の間の実力差
難しいのは、労働者の間の実力差は、その飯場の滞在期間とはまた別であるという点です。20年、30年のベテランだという人も、その飯場で働くのは初めてだという人も当たり前にいることになります。それに対し、私のように飯場の仕事は研究のために数ヶ月経験しているだけという人間でも、その飯場には一ヶ月くらいいるというだけで、リーダー役を任されることが起きてきます。そうなると、実力的にははるかに上位の人に対して、仕事の指示を出さなければいけないことも起こります。
独断専行をとめられない
有能さへの志向を持つ飯場の労働者は、みんなまじめによく働くし、気が利くところを見せて、現場をうまく回すことに一役買いたいと思っています。この「現場をうまく回すことに一役買いたい」という考えが曲者です。
私のようなほとんど初心者と変わらないような人間がリーダーになることもあるのですから、その下で働く先輩労働者は、特に悪気もなく「ここはこうすればいい」「こうしないとあかん」と思って、自分の意見を言ってきます。そのような提案がありがたいことも多々あります。こちらから何も言わなくても、自発的に考え、行動してくれる人と一緒に働けると、とても助かります。
しかし、そういう人が「気が利きすぎて」勝手なことをやってしまう場合があります。確かに、単純に作業の効率だけを考えると、そっちを優先してやった方がいいだろうということでも、その日の作業ノルマや優先しなければならない作業があれば、後回しにしなければならないのが実際です。リーダー役の人間は、その日の作業の注意事項としてそのような指示を受けています。しかし、それ以外の人たちはそのような事情を知るはずもないので、一般的な現場労働のセオリーで勝手に仕事を進めてしまうことがあります。そのような時には、リーダー役の人間は怒られてしまいます。
勝手なことをやってしまう人たちも悪気があるわけではないことはわかるのですが、そのような独断専行は迷惑だし、止めることもできないので、固定層は流動層のことを「面倒くさい」「忌々しい」と感じてしまうことがあります。
今回の課題
課題10
助け合いの精神があっても、大勢の人間が一緒に物事を進めようとすると、さまざまな問題が起こってきます。今回は、大勢で何かをやらなければならない時に他人に対して感じたもどかしい経験を思い出して書いて下さい。そのような経験に思い当たらないという人は、今日の授業で紹介した飯場で働く労働者の事例について、あなたの感想を書いて送って下さい。
件名に「学籍番号 氏名 課題9」を書いたうえで、jinken.ibu[at]gmail.com([at]を@に置き換て下さい)宛にメールで提出して下さい。