「現代社会と人権」渡辺拓也

四天王寺大学で開講されている「現代社会と人権」のオンライン授業用の教材です。無断転載や受講者以外への不要な拡散は控えて下さい。

怠け者を作り出すメカニズム

おわび

 まず最初にお詫びしなければならないことがあります。前回の課題番号は10であるにもかかわらず、見出しと本文で番号が異なっていました。混乱させてしまい、申しわけありませんでした。課題の受理と出欠の登録は問題なく処理しているはずですが、出したはずなのに登録されていないという人は、お手数ですが、IBU.netのQ&Aか、メールで教えて下さい。

大勢で物事を進める際のもどかしい経験

人数の問題

 前回は、大勢で物事を進める際にもどかしい思いをした経験について、書いてもらいました。出来事を詳細に書き起こしてくれた人も多く、とても面白く読ませていただきました。

 トピックとして多かったのは、部活動やアルバイトのような日常の出来事もあれば、修学旅行や文化祭といったイベントの事例もありました。

 修学旅行の自由行動の際、仲の良い友達同士で回りたいというので、二班一緒に行動したところ、12人の大所帯になってしまい、行き先がスムーズに決まらずに目的地をろくに回ることができなかったという話がありました。人数が一定以上になると、物事がうまく決まらなくなるということがあるのかもしれません。

 グループワークをする時や、発表をしなければならない時に、大勢の前で話すのが苦手だということを書いてくれた人も結構いました。グループワークのような小集団で作業をしなければいけない時に、進行役を決めるのもわりと大変です。

サボる人にイライラする

 文化祭でも、何をやるのかを決めるのに時間がかかったり、進め方でも行ったり来たりの議論になってじれったい思いをしたという話がいくつかありました。クラスで完成させなければならない制作物がある場合に、常に作業に参加する人たちと、ろくに参加せずサボっている人たちとに分かれてしまうという話も目立ちました。文化祭当日までに間に合うか怪しくなったときに、それまで手伝っていなかったクラスメイトたちが手伝うようになってくれたのはいいものの、「期日までに完成できたのは自分たちのおかげだ」と大きな態度を取りはじめたことに怒りを覚えたという話もありました。

 部活動では、経験のある指導者(顧問)がいないため、自分たちで練習メニューを決めねばならず、文句を言う部員に合わせざるをえなくなったというジレンマを書いてくれた人がいました。また、掃除や片付けをしなければいけない時にも、やはり積極的にやる人とやらない人との温度差が問題になります。

意思疎通の困難

 このような問題は、意思疎通の問題だといえるでしょう。何かやらなければならないことに対して、ちょうどいい人数があります。ちょうどいい人数より多過ぎても問題だし、少な過ぎても問題になります。また、物事をうまく進行させるには、役割分担も必要です。役割分担をするには、どのような手順で物事を進めていくのかについての見通しを立てる必要があります。

 物事を進めていく手順の見通しのことを建設現場ではよく「段取り」と言います。段取りを立てるのは飯場の労働者を使う側の人間の役割です。段取りがよければその日の仕事はスムーズにいくし、段取りが悪ければ、無駄に疲れてしまったり、仕事が終わらなかったりします。何人でどれくらいの作業をするのかを決めるのも段取りの一部です。

 ゆえに、飯場の労働者はよく「この現場は段取りが悪いわ」と言います。そして「こういう現場やったら、最初にこれをやらんとあかんわ」「もっと人を呼ばなあかんわ」などと、お互いに語り出します。また、仕事の節目節目で、こういう場合はこうするべきだという確認を取り合っているようなところもあります。

 労働者が仕事について語るのは、彼らに有能さへのこだわりがあるためでもあります。「自分は仕事がわかっている」ことを示すためには、まず仕事について語れる必要があるし、誰かの仕事の語りについて話を合わせられることも、仕事がわかっている証明になります。

 このようなおしゃべりが、実際に仕事をする時の意思疎通に役立っています。ふだん偉そうなことを言っていて、実際に仕事ができなければ元も子もありません。

怠け者を作り出すメカニズム

働き者の中になぜ怠け者が出現するの

 飯場の労働者は基本的に働き者だという話をしてきました。しかし、働き者であるがゆえに、固定層と流動層という立場の違いの中で、行き違いが起こることもあります。その行き違いは、サボろうとするからではなく、むしろ一生懸命働こうとするから起こるものでした。

 ところが、行き違いの起こる固定層と流動層の関係の中で、怠け者扱いされる人が出てきます。働き者である飯場労働者のあいだで、なぜ怠け者が出現するのでしょうか。ここには、実際に怠けていない人を怠け者に仕立て上げてしまうメカニズムが働いています。今回は怠け者が作り出されるメカニズムについてみていきましょう。

固定層と流動層、どちらが怠け者か

 固定層と流動層を分けるのは、一つの飯場での滞在期間と滞在の意思の違いでした。固定層は一つの飯場に長くいるし、できるだけ長くいたいと思っている人たちです。その飯場の主力と認められて、仕事が少ない時期にも仕事を回してもらえるようになりたいと思って一生懸命働いています。

 固定層の中にも、認められている程度の違いがあるので、いったん自分の地位を固めた人は、仕事が多い時期には少しくらい手を抜いたり、仕事を休んだりしてもいいかもしれません。しかし、仕事が少ない時期にも出してもらえるかどうかは、ふだんの働きぶりによって違ってくるそうです。「ふだんから休む人間は暇な時にも休まされる」というので、固定層だからといってサボろうとするということはありません。

 一方の流動層は、あまり飯場にいたいとは思っていません。一生懸命働いても、仕事が少ない時期には休まされるのだから、一つの飯場にしがみついても割が合わないと思っています。仕事が少なかったり、条件の悪い飯場ならすぐに出ていけばいいとも思っています。一度来た飯場にもう一度来なければならないということもないので、一度切りと割り切って手抜きをすることもあるかもしれません。しかし、早く飯場を出るためには、短い契約期間中でも休まずに働き切る必要があります。休まされれば休まされただけ飯代が引かれてしまうし、飯場で一日休まされても楽しいことなどありません。毎日仕事に出続けるためには、やはり真面目に働いて、勤勉さをアピールしておく必要があります。

 つまり、固定層も流動層も「できるだけ毎日仕事に出たい」という考えは違わないし、真面目に働くと思われておく必要があります。

怠け者を疑うまなざし

 実際は怠けていないにもかかわらず、怠け者扱いされる人が出てくるのはなぜなのか、怠け者扱いされる人はどういう人なのかというと、それは流動層の中から現れます。そして、誰が流動層を怠け者扱いするかというと、これは固定層です。
 ある日の仕事の現場です。この現場は、シネコンとショッピングモール、大型スーパーが一体となった施設の建築現場でした。聞くところによれば、1日に800人もの人間が働いているとのことで、私が入っていた飯場からも、毎日20人以上の労働者が何台もの車で通っていました。

 その日、私は固定層のリーダーの下で、ほかの流動層2人と一緒に、合計4人で作業をしていました。流動層の中では、私はその現場での経験が長く、リーダー役の固定層とも顔見知りでした。

 その日の朝礼の後、仕事に取りかかる前に、固定層のリーダーが私を呼んで次のように耳打ちしました。

「あの二人、ちょっと目を離すとどっか行きよるから目光らせといて」

 固定層のリーダーは、流動層の2人について、きちんと見張っておかないと、隙を見てサボろうとするというのです。この耳打ちに私は驚きました。流動層の2人とは、私も一緒に働いたことがあったし、こっそり怠けようとするような人たちではないことを、私は知っていました。

怠けていたとからかわれる

 私自身が怠け者扱いされたこともあります。同じ現場で、私はよく軽トラックの運転をしていました。コンクリートを運ぶミキサー車は、建設中の大きな建物の内部まで入ることができません。そこで、軽トラでミキサー車とコンクリート打設の現場とを行ったり来たりして、セメントを荷台に積んで運ぶ必要がありました。軽トラを使わなければ、仕事にならなかったのです。

 ところが、その日の朝に軽トラをチェックすると、ガソリンが切れかけていました。折り合い悪く、倉庫にストックされているガソリンのタンクも空っぽだったので、ガソリンの給油車を呼ばなければいけませんでした。とにかく給油を済ませてからでないと仕事が始まらないので、大きな現場の入り口付近で、給油車が来るのを私はしばらく待っていました。

 この日の夕方、飯場に戻り、夕食をとりに食堂に行ったところ、この現場で職長をしている固定層の小宮さんから「お前、昼に1時間サボっとったろ」と声をかけられました。ほかに人がいる前でこんなことをいきなり言われてびっくりしました。彼が言っているのは、この給油車を待っている時間のことを指していることは推測できました。そして、彼は本気で私がサボっていたと思っているわけではなく、大勢の前でこんなことを言って私をからかっていたのだと思います。

 からかわれるというのは必ずしも悪いことではありません。「笑って許せる」相手とでなければ、「からかう」というやりとりはリスクが高く、「からかう」ことは、相手に対して「笑って許せる」関係であると表現しているようなところがあります。このことも、笑って流してしまえばいいようなことです。

一対一のやりとりと、一対多のやりとりの違い

 しかし、このようなからかいも、一対一の関係で行われる場合と、一対多数の関係で行われる場合とでは、意味合いが異なってきます。一緒に働く仲間を怠け者であるかのように耳打ちする行為も、私とリーダーとの一対一のやりとりであれば、私が気にしなければ何の問題にもなりません。

 次の事例も、やはり同じ現場での話です。この日は、先ほどの小宮さんをリーダーに、もう一人固定層の森さん、流動層の柿田さんと一緒のチームで働いていました。運送屋で働いていた経験がある柿田さんは、もっぱら軽トラの運転を任されていました。何せ広い現場なので、車を使わないと仕事になりません。それもうまく段取りを組んで進めていかなければいけません。小宮さんは、一人で軽トラで先に資材置き場に行って、のちの作業の下準備を始めておくようにと柿田さんに指示を出しました。

 小宮さんに言われて車を走らせる柿田さんの姿を見送りながら、森さんは「あいつ一人で行かせると道がわからんのじゃないか?」と心配そうに言います。柿田さんは方向音痴気味なところがあるので、私もその心配に同意しました。しかし、小宮さんは「あいつは返事だけは威勢がいいけどな」とせせら笑うように言いました。私と森さんと違って、小宮さんは柿田さんをバカにしていることがわかります。

 ちょうど休憩時間になったので、私は小宮さんの運転する車で、休憩所まで行くことになりました。その二人きりの車中で私は、小宮さんが柿田さんのことをさらにバカにするような独り言を耳にして、居心地の悪い思いをしました。一緒に働く仲間が悪く言われるのを聞くのはあまり気持ちのいいものではありません。小宮さんがどこまで意識していたのかわかりませんが、悪口も聞かせていい相手とそうでない相手がいます。悪口を聞かされるということは、そうした見方を共有しても構わない相手だと思われているというメッセージにもなりうるからです。

多数の中でからかわれること

 今度は、休憩所で起こったことです。休憩所には私の他に流動層はおらず、固定層の労働者が小宮さんの他に3人いました。そのうち1人は離れたところに座っていて、残り2人の20代の若い労働者が小宮さんと一緒に休憩時間を過ごしていました。

 暑い夏の日の現場には、かき氷の屋台が来ており、一杯目を食べ終えた2人の若者と小宮さんは、ジャンケンで負けたやつがみんなに奢るという賭けをはじめました。からかうという行為と同じように、賭けをする関係もまた、ある程度の親密さがそこにあることを表しています。すぐそばにいるにもかかわらず、私はこの賭けジャンケンには誘われません。私と彼らとでは、関係の深さが異なるというわけです。

 賭けジャンケンに勝った小宮さんは、職長会でもよくジュースを賭けてジャンケンをするのだと語りはじめました。3人のやりとりを黙って聞いていた私に対して、小宮さんがふいに「わしは1,000円しか持ってなくてもやるで」と話しかけてきました。もともと蚊帳の外で聞いていた私は、「小宮さんは強気ですね」と当たり障りのないコメントをするしかできませんでした。

 小宮さんは、私を指して「こいつはすぐ休もうとする」と言ってからかってきました。ここまでなら以前のからかいと同じです。ところが、今回はこんなふうに言ってきました。

「柿田と一緒になってな」

 すると、小宮さんの話の行方を黙って見守っていた若い2人はここぞとばかりに笑い出しました。これもからかいには違いがありません。小宮さんにとっても、彼らにとっても、これが事実であるかどうかは関係がありません。重要なのは私と柿田さんは彼らに笑われる立場であり、彼らは私たちを笑う立場であるということです。

 これは、私と柿田さんが笑われたというだけではなく、固定層は流動層を一方的に怠け者扱いして優位に立つことができることを表しています。このような場面で、私が何を言っても反論することができません。必死になって反論すればするほど、「冗談で言っているのに、何をそんなにムキになっているのか」と笑われるだけでしょう。

 このようなからかいが可能になるのは、流動層に比べて固定層は仲間を作りやすいからでしょう。このようなからかいのコンビネーションを可能にするためには、ある程度付き合いのある仲間が必要になります。仲良くなってもすぐに相手がいなくなってしまう流動層には、仲間の数がもともと少ないのです。

流動層はいつも怠け者扱いされている

 固定層と流動層のあいだに非対称的な関係があることに気づくと、ふだんから流動層は固定層から怠け者扱いされていることに気づきます。

 最初に出てきた固定層のリーダーは、契約を終えて飯場から出て行く流動層の姿を見かけては、「3、4日もすれば戻ってくるわ」とバカにするように言っていました。せっかく飯場で稼いで貯めたお金をつまらないことで浪費して、また飯場に入って来ざるを得なくなる、彼はそう言いたいのです。確かに、ついこないだ飯場を出たと思った人がすぐにまた入ってくるということはあります。訳を聞いてみると、バツの悪そうな笑みを浮かべて、パチンコで負けてしまったことを打ち明けてくれました。ここだけとらえると、なるほど流動層はだらしない生活を送っているのかもしれません。ところが、そうやって流動層をバカにしている彼も、給料日のすぐ後に肩を落としていることがあり、ほかの人に事情を聞くと、やはりパチンコで負けて有り金を使い果たしてしまったということでした。

なぜ怠け者扱いするのか

 固定層はなぜ流動層を怠け者扱いするのでしょうか。実際には怠け者というわけではないし、一緒に働く仲間をバカにするのはあまり褒められたことではありません。固定層が流動層を怠け者扱いするには、そうしなければならないわけがあります。

 前回あったように、飯場労働者は仕事熱心であるあまり、独断専行してしまうことがあります。そうした時に迷惑を被るのは、その時にグループのリーダーを任されている人で、リーダーになりやすいのは飯場に長くいる人であり、固定層である場合が多くなります。流動層も固定層もその身分に違いはありません。リーダーをやるからと言って、高い給料をもらっているわけではないし、必ずしも上下関係を規定する肩書きがあるわけでもありません。固定層は流動層がいうことを聞いてくれるようにお願いするしかありません。

 ところが、ここで怠け者扱いをすることで、固定層は流動層にいうことを聞かざるをえなくするような圧力をかけることができます。たとえ言いがかりであると分かっていても、怠け者扱いされれば悔しいので、流動層はより真面目に働くようになります。変な揚げ足取りをされないために、隙を見せないように気をつけなければなりません。もっとも、自分はきちんと働いているのに、こんな不愉快な思いをさせられるいわれはないと思う人もいるでしょう。そういう人は、この不愉快な飯場からさっさと出て行くでしょう。あるいは、真面目に働いてもバカにされるなら意味がないと手を抜くかもしれません。しかし、そうするとその人は自分から本当に怠け者になってしまいます。

 このように、怠け者扱いすることで、言うことを聞くような圧力をかけることができるし、言うことを聞く気がない人間を追い払うこともできます。

怠け者扱いの落とし穴

 しかし、いくら真面目に働いても、流動層でいる限り、怠け者扱いの被害から抜け出すことはできません。不当な怠け者扱いをされないようにするには、自分自身が怠け者扱いする側にならなければなりません。つまり、固定層になればいいのです。固定層になって、一緒に流動層をからかうようにすればいいわけです。

 実は、怠け者扱いをされて、からかわれるということは、その人が固定層から認められていることの裏返しでもあります。「こいつは見込みがある」と思われているからこそ、揺さぶりをかけて試しているのです。

 そうして固定層になったとしても安泰というわけではありません。流動層を怠け者扱いする固定層の中でも、やはり評価の目が光っています。偉そうなことを言いつつサボっていれば、仲間内で悪く言われるでしょう。結局はがんばり続けなければならないのです。

本当に悪いのは誰だろう

 固定層と流動層のあいだに行き違いが起こるのは、仕事の量によって流動層が増えたり減ったりするからです。これは、仕事のある時にだけ日雇で働き手を増やし、仕事がなくなれば雇うのをやめて、損しないようにするためです。となれば、固定層と流動層の行き違いや、そこから生じるトラブルの責任は労働者たちにはないことになります。しかし、何か問題が起これば対応しなければならないのは労働者自身だし、その労働者同士が不毛な争いを強いられています。

 誰かが怠け者扱いされる時、なぜその人が怠け者だと言われるのか、誰が誰に対してそのように言うのかを考えてみる必要があります。

今回の課題

課題11

 今回は、あなたが誰かを怠け者だと思った経験、あるいはあなた自身が怠け者扱いされた経験についてふりかえって書いてみて下さい。誰かが誰かを怠け者扱いしているのを見かけた経験でも構いません。そして、実際にはどうだったのかについても考えてみて下さい。

 課題は、件名に「学籍番号 氏名 課題11」を書いたうえで、jinken.ibu[at]gmail.com([at]を@に置き換えて下さい)宛にメールで提出して下さい。