「現代社会と人権」渡辺拓也

四天王寺大学で開講されている「現代社会と人権」のオンライン授業用の教材です。無断転載や受講者以外への不要な拡散は控えて下さい。

ホームレス生活は自由なのか

なぜ叱られたのか

 前回は、西成公園のテント村でのおやじさんとのやりとりを紹介しました。親方気質で「困った人を見ているとほっておけない」と言い、コミュニケーション能力も高く、バイタリティあふれるおやじさんでしたが、二度目の訪問では態度が豹変します。その理由はいったい何だったのでしょうか。

 みなさんに送ってもらった意見を読みながら、当時の自分の戸惑いを昨日のことのように思い出しました。ホームレスの人たちのテント村に住み込み調査をしているといっても、それまで独りで見知らぬところに飛び込んでいって暮らした経験などありません。世間知らずで、一般的な礼儀作法も知らないと言われれば、そうかもしれません。おやじさんに叱られて、まずは自分が悪かったのかもと謝るしかありません。

お客さんではなくなった

 みなさんが送ってくれた意見のなかで、「1回目はお客さんだったけど、2回目はそうではなかったから」というものがありました。これはとても重要な視点だと思います。

 確かに1回目は、会ったばかりの人だし、おやじさんの見せてくれるもの、話してくれるものにいちいち驚いてくれる「お客さん」だったのでしょう。「こんな面白いもんもあるぞ」「こんなホームレスのおっさんおらんやろ」と驚かせて楽しんでいたのでしょう。

 2回目は、「ホームレスとしての生活の厳しさを教えようとした」とか、「本当は困っていないのに頼ってきたことに腹を立てていたのではないか」といった意見がありました。これももっともらしく思えますが、おそらくそういうわけではありませんでした。私は自分が大学生であることや、卒業論文を書きたくてテント村を訪れていることを伝えていましたし、決して食べるのに困っているわけではないことはわかっていたはずです。

 自由で気ままなホームレス生活に見えても、毎日楽しみにあふれているわけではありません。楽しみにあふれているように見せかけているものの、実際のおやじさんの生活はそれなりの努力のもとに築かれていたのだと思います。

おやじさんの生活を支えるもの

 拾ってきた電化製品を修理して、お客さんを見つけて買ってもらったり、テント村のほかの住人にテレビやバッテリーを売って稼いだりしていましたが、そのような収入は常にあるものではないでしょう。

 売れるような電化製品が手に入るかどうかも分かりませんし、最初は面白がってテレビとバッテリーを買ったら人も、無理をしてまでバッテリーを充電しようとはしないでしょう。

 おやじさんの生活を支えるものは、アルミ缶拾いだったのです。三輪自転車で大きなリアカーを曳き、資源ごみの日にリアカーいっぱいアルミ缶を集めて売りに行く。大阪市南部にある西成公園から、市外まで出かけていくこともあると言っていました。

 どの日が資源ごみの日であるということがおやじさんから語られることはありませんでした。これは「企業秘密」だったのでしょう。深夜のうちに集めて回って、明け方には買取業者に売りに行って戻ってくるので、私が起きてくるころにはその痕跡は残っていません。

 「この人はいつになったら寝るのだろう」と私は不思議に思っていましたが、考えてみれば、このような時間は、深夜にアルミ缶を集めに行くまでの時間潰しだったのでしょう。「いつになったら」も何も、彼は寝ていなかったのです。夜通し働いて疲れていても、すぐには寝付けなかったのでしょう。そのまま、午前中はストックしていた古新聞の仕分けをしていたこともあります。

 そう思ってよくよく考えてみると、妙に機嫌が悪く、奥さんにも当たり散らして腹を立てた後に、昼寝をしていたことがありました。「ふて寝」したかのように思っていましたが、本当は眠くてしんどかったのでしょう。

ホームレスの人たちの仕事

 収入の安定しないホームレス生活では、アルミ缶やダンボールなどの廃品回収は、がんばればがんばったぶんだけ収入が見込める仕事です。しかし、同じ労力を払ってもあまり集まらないこともあります。また、アルミ缶やダンボールの値段は時価で変わります。アルミ缶は、良い時はキロ150円になることもありますが、最近では70円にまで下がってしまっていると聞きます。

 公園のほかの住人を見ていると、昼夜を問わずに出かけては戻ってきて、拾ったものを置いていきます。当時のブラウン管式の小型テレビは海外輸出用に買い取ってもらうことができました。たまに日本橋電器屋街で買い取ってもらえるようないいものが拾えることもあったようで、嬉しそうに見せてくれたことがあります。

 もっぱらエアコンの室外機を拾ってきている人もいました。エアコンの室外機にはアルミと銅がたくさん入っていて、それらを解体して金属として売ればお金になります。

 ダンボール集めを専門にしているあるおじいさんは、自分のテント小屋の周りに、土手のようにダンボールを積み上げていました。たくさん集めておいて、お金が必要なときにまとめて売りに行くのだそうです。この人も、夜中でも暇さえあれば自転車で出かけていました。

 集めればお金になることはわかっていても、集められるかどうかは別問題です。そこで、公園の住人たちは昼でも夜でも気が向けば巡回に出かけたし、自分なりに拾いやすい場所や時間帯を把握してもいたでしょう。

 現金収入に結びつくチャンスを見逃さないように毎日生活していて、おやじさんの活発な営業活動もその一環だったわけです。

場所の大切さ

 それでも、テント村の人たちの生活は路上で野宿している人たちに比べれば安定したものでした。テント村のある住人は「ここにおるのは偽装ホームレスだ。商店街で寝とるようなもんのことを調べんとあかん」などと言っていました。

 テント村の住人の生活が相対的に安定したものであるのは、自分の居場所を確保できているからです。自分のテント小屋があるということは、それだけの荷物を置いておけるということだし、毎日寝る場所を探さなくていいということです。

 商店街のアーケードのシャッターの前や路上で寝ている人たちは、シャッターが下りるまでは横になることができないし、商店が開店する前には片付けてどこかへ移動しなければなりません。荷物を持って移動しなければならないとなると、生活のための道具や衣類の量も制限されてしまいます。

 その点、テント小屋があれば、日中仕事に出かけているあいだ、荷物を置いておけます。その季節は使わないようなものも、次のシーズンまで置いておくこともできます。

 拾ってきたアルミ缶やダンボール、その他、換金可能なものをストックしておくこともできます。お金になりそうなものが手に入っても、それがすぐに換金できるとは限りません。しばらく置いておいて、時期が来れば売りに出すということができれば、それだけ生活には余裕が生まれます。

 また、野宿していると、襲撃の危険もあります。テント村でより集まって住んでいれば、この襲撃の危険も相対的に低くなります。

 こんなふうに、野宿生活をする上で、自分のために使える場所があるということはとても大きな意味を持ちます。もっとも、これは私たちの生活も同じです。「帰る家がある」というのは、単に寝る場所というだけでなく、さまざまな財産を守ることができるということでもあります。一度ホームレスになると、長年使っていた、そうした財産も失ってしまうということにも注意が必要です。

公園の人間関係

 テント村の人間関係は、このような生活の事情と大きく関わっています。

 「自分の小屋がある」といっても、それは公園だったり、河川敷だったりするわけで、いつ追い出されるかわかりません。

 テント村に住んでいると、おやじさんと近所の人たちはしょっちゅうケンカをしていました。「ここは俺の場所だ! ここからはみ出して荷物を置くな!」と文句を言われたと思ったら、「ここは公園だ! 市の土地で、お前の土地じゃない!」などと言い返します。「市の土地で、お前の土地じゃない」とはそのとおりなのですが、そういう自分も市の土地に小屋を建てているのだから、何の反論にもなっていません。

 このやり取りからは、それだけテント村の人たちが自分のテント小屋を重要なものだと思っていることがわかります。みんなちょっとした後ろめたさを感じつつも、テント小屋があるからこそ、この生活が守れていることがわかっているのです。それだけに、「誰の場所か」と議論になると、冷静ではいられないのでしょう。

テント村の贈与

 また、おやじさんの言葉に「何かもらったら必ずお返しをしろ」というものがありました。おやじさんは「わしはお返しは要らん。やったもんはやったもんや。やけど、お返しをせんかったら絶対何か言われるんや。それが嫌なんや」「同じ価値のものを返す必要はない。何でもええから返しとけばええんや」と言います。

 しかし、「何かもらったらお返しをする」というのは結構難しいことです。相手がくれるものは何も貴重品というわけではないし、無ければ困るというものでもありません。

 あるテント村の住人が、「こぎれいなTシャツを拾ったのだが、自分には小さすぎるから」とくれたことがありました。私は着るものに困っているわけではありませんでしたが、テント村で暮らすようになって、ほかの人が親切で余ったものを分けてくれることを純粋にうれしく感じました。しかし、おやじさんは「お返しをしろ」とうるさく言います。何か適当なものをと思っても、なかなかそういうものがないし、無理にお返しをしようとしても、かえって変な顔をされてしまいます。

 すでに述べたように、自分のテント小屋があれば、「いつか役に立つかもしれない」ものを貯めておくことができます。自分では使わないものでも、新品同様で捨てておくのはもったいないようなものもあるでしょう。そういうものがあれば、誰か必要な人にあげて感謝されるのも悪くありません。もともとはタダで手に入れたものです。「これは使えるかもしれない」ものを手に入れるために日々目を光らせていて、しかし、偶然手に入ったものも、必ずしも役に立てられる場面もないので、だったら他の知り合いに分けてあげようという贈与の文化があります。

 ここにあるのは助け合いの文化だと言えるでしょう。交換や贈り物は、仲間意識を作り出すことにもつながります。しかし、人間同士ですから、ちょっとしたことで行き違いが起こることもあります。そのような時に「あの時、あんないいものをやったのに、あいつからは何ももらったことがない」と腹が立つことがあるかもしれません。

 何かをあげる時に、必ずしも返してもらえることを期待しているわけではありません。相手に喜んでもらって、自分が拾ってきたものも役に立って、それで満足していたはずです。「お返しをしないから悪い」わけではなく、人間関係が悪くなった時に、お返しをしなかったことが問題にされるのです。

 このようにテント村の生活は結構気を使うものです。おやじさんは自由気ままを気取った生活を送ろうとするので、テント村では敵の多い人でもありました。そのおやじさんにとって、「身元を預かっている人間が下手なことをすれば、自分に累が及ぶかもしれない」と思うと、私のふつうのふるまいも気になって仕方がなかったという事情があったのです。

今回の課題

課題4

 今回の課題は二つあります。一つ目は、「ホームレスは自由なのか」また、「自由とは何なのか」について、あなたの考えを述べて下さい。
 メールは授業時間内に送るようにして下さい(金曜日の2限なら2限、3限なら3限の時間帯)。宛先はこれまでと同じように jinken.ibu[at]gmail.com ([at]を@に置き換えて下さい)です。件名欄に「学籍番号 氏名 課題4」を入力して送って下さい。

課題5

 もう一つの課題は、みなさんの現在の生活についてです。緊急事態宣言が全国的に解除されることになりました。また、遠隔授業がはじまってから3週間が経ちました。課題1と同じように、課題1の締め切りだった5月1日から現在までの、自分の生活をふりかえったレポートを課題5として提出して下さい。課題5はIBU.netの「課題管理(レポート)」の機能を使って出すので、そちらから提出して下さい。こちらの締め切りは6月4日(木)までとします。

新型コロナウイルス感染症はどうなるのか

 課題1では、みなさんが新型コロナ感染症を意識しはじめてから最近までの受け止め方、出来事を書いてもらいました。

共通点と相違点

 読んでいて面白かったこととして、大体どの人も認識が変わる時期やきっかけとなる出来事が共通している点です。

 一回生のみなさんは、高校の卒業式が縮小された経験をしています。卒業式が1月に開かれた学校では例年通りの卒業式ができたそうです。卒業式がそんなに早くある学校もあるということを知らなかったので、いろんな経験の違いがありうるのだなと思いました。

 また、みなさんせっかく予定していた卒業旅行をキャンセルしたという経験をされています。一方で、新型コロナウイルス感染症のことを気にしながらも韓国旅行に行ったという人もいました。3月頭あたりだと、危機感は抱かれつつも、まだそのランクは一段低かったようです。

 3月末にタレントの志村けんさんが亡くなったニュースについては多くの人が書いていました。そして4月になり大学の入学式も無くなってしまい、自宅学習をしている現在に至ります。

認識が変わるポイントと納得の仕方

 ポイントポイントで意識が変わる様子が見てとれます。そのなかでも「自分自身が感染することより、他人に感染させないために」という受け止め方をするようになっているところが目に留まりました。多くの人にとって「自分が感染するということにリアリティが持てない。しかし、何らかの行動制限は必要である」となった時に、「他人に感染させないこと」という理由がしっくりきたのだと思います。

 はっきりした判断ができない状況でも、人間は合理的な判断をしようとするし、その根拠を見つけようとします。しかし、どこまでが自分の判断と言えるのか。どういう意味で合理的なのか。今後私たち自身、どのような判断を「合理的」だと受け止めていくのでしょうか。その答えは未来になってみなければわからないし、また過去を振り返ってみなければわからないことでもあります。未来を知るためには過去を知る必要があります。

ホームレス生活に陥るさまざまな要因

ホームレス生活に陥るさまざまな要因

 前回の授業では、普通に暮らしている人がホームレス生活に陥る一番大きな原因は「仕事がない」ことであると述べました。仕事がなければ家賃が払えなくなります。家賃が払えなくて、家から出る、あるいは追い出されてしまうと、新たに仕事を探すこと自体が難しくなります。

 前回の課題で、なぜふつうの人がホームレス生活になるのか、その原因をみなさんに考えてもらいました。ホームレス問題は、いろんな原因がからまりあって引き起こされます。たとえ仕事を失ったとしても、それだけですべての人がホームレス生活になるわけではありません。失業したとしても、失業保険に入っていれば、しばらく暮らしていけるだけのお金は確保できるかもしれません。また、まとまった貯金があれば、貯金で食いつなぎながら次の仕事を探すこともできるでしょう。

 お金がなかったとしても、頼れる家族がいるかもしれません。共働きの世帯なら、相手の収入と合わせてなんとか乗り切ることができるかもしれないし、実家の両親に助けてもらえることもあるでしょう。しかし、家族というのはありがたいものであると同時に、自分自身を縛ったり、負担となったりする場合もあります。児童虐待を繰り返す親、家庭内暴力をふるう親や配偶者から逃げ出してきたという人もいます。

 家族とは頼るばかりではなく、頼られるものでもあります。家族が病気になったり、介護が必要になったり、障害を負ったりすれば、その助けは家族が担うように期待されます。24時間付ききりで介護が必要ともなれば、働きに出ることもできません。私が出会ったなかにも、奥さんが介護が必要になり、仕事を辞めて奥さんが亡くなるまで面倒を見て、貯金が尽きて家を追い出されて野宿するようになったという人がいました。

 地震や火事など、思わぬ被害に見舞われて財産や仕事を失ってホームレス生活に行き着いたという人もいるでしょう。また、本人の健康状態の悪化、加齢なども生活条件の悪化に関係してくるはずです。

カフカの階段

 一つひとつは小さなことでも、いろんなことが組み合わさってくることで、階段を一段ずつ落ちるように不安定な状態になっていきます。階段をすべて転がり落ちた先にホームレス生活という最下段があるという絵を思い浮かべて下さい。もし、ホームレス生活が一段ずつ階段を転がり落ちるようなものだとすれば、その階段を一段ずつのぼっていけば元の生活に戻れることになります。しかし、ことはそう簡単ではありません。

 仮に10段ほどの階段を転がり落ちたとします。一段一段は大した高さではないし、高さを小分けにして連ねることで上り下りを便利にしたのが階段という発明です。ホームレス生活に陥るまではこの階段を一段ずつ落ちていくのですが、ホームレス生活から抜け出そうとする時には、この10段が、高さが変わらないまま1段になってしまっているのです。

 家がなければふつうの仕事が探せない、仕事が見つかっても給料日までの生活費がない、借金取りに追われているので住民票を置くことができないなど、いろんな要因がからみあって、もとは階段だったはずの坂道が、高い壁となってホームレスの人たちの前に立ちはだかります。ホームレスの人たちの置かれたこのような状態を、生田武志さんは作家のカフカのエピソードになぞらえて、「カフカの階段」と名付けました。

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生田武志:(野宿者問題の授業のための)「いす取りゲーム」と「カフカの階段」の比喩についてhttp://www1.odn.ne.jp/~cex38710/game.htm

「貧困」の五つの条件

 野宿者支援にも取り組んできた社会活動家の湯浅誠さんは、「貧困」には五つの条件があると言っています。その条件とは以下のようなものです。

  1. 教育課程(学校教育)からの排除
  2. 企業福祉(正規雇用)からの排除
  3. 家族福祉(家族の支え合い)からの排除
  4. 公的福祉(生活保護など)からの排除
  5. 自分自身からの排除

 これらの条件も、相互に関係しています。進学したくても進学できない、勉強したくてもできない背景には、もともと貧しい家族のもとに生まれ育ったということがあります。十分な学校教育を受けられなければ、安定した仕事に就く道が限られてきます。家庭が貧しくとも、家族の生活や子どもの学びを支える制度があれば、本人のがんばり次第で貧困から抜け出すことができるかもしれません。しかし、それでもその人がふつうより大変な努力をしなければならないことには変わりがないし、「チャンスを与えてもらったのに、それをモノに出来なかったのは自分のがんばりが足りなかったのだ」と考えてしまいがちです。何か失敗をして意欲を失ってしまうのは、本人のせいばかりではありません。むしろ意欲があるからこそ、それがうまくいかなかったときの挫折感も深くなります。

 こうした負の連鎖に陥らない社会、抜け出せるような社会にするためにはどうすればよいでしょうか。何かアクシデントに見舞われたり、失敗した時の備えになるものを、セーフティネットと言います。セーフティネットは必要なものですが、セーフティネットがあればいいというものでもありません。セーフティネットがあったとしても、何度も落下するような生活では疲れてしまいます。

ホームレス生活は自由なのか

 前回お話ししたように、私のはじめてのフィールドワークは2001年の大阪のテント村でした。200軒以上のテント小屋のある公園で、5月から9月頭にかけての延べにして2ヶ月ほどの期間、私は住み込みの調査を行いました。ある人からテント小屋を借りて、しばらくテント村で生活したのです。

 私の関心は「自由とは何か」ということで、それを考えるために、自分が不自由だと感じるところに逆に行ってみようと思ったからでした。

まるで自由なホームレス

 ところが、私が西成公園で出会ったのは不自由どころから、ふつうの人よりも自由に暮らしているのではないかと感じさせられるような人物でした。当時67歳の彼は、内縁の奥さんと一緒に悠々自適の生活を送っていました。

 公園に個人的に電気を引くことはできません。しかし、彼はガソリンで動く発電機を持っていて、その発電機で起こした電気で、テント村で電化製品を使っていました。電化製品はみんな拾ってきたものです。洗濯機を使って洗濯をしたり、テレビとビデオデッキで映画を上映したりして、毎夜テント村では映画観賞会が開かれていました。一つひとつは小さなものですが、9軒ある彼の小屋の一つでは、ウィンドウクーラーを設置して夏場は涼んでいました。

 私自身の住んでいた小屋も、彼から貸してもらっていたものでした。テント村をはじめて訪れた際、寝袋をくくりつけたリュックを背負っている私の姿を見て、「泊まるところないんやったら、小屋をひとつ貸してやる」とふいに言われたのがそのきっかけでした。

ホームレスの商売人

 発電機を持っているホームレスの人は他にいないわけではありませんが、彼ほどのバイタリティのある人はそうはいないと思います。もとは電気屋もしていたという彼は、拾ってきた電化製品を修理しては売りに行っていました。それも、中古ショップに持っていくのではなく、街中で知り合った人に「こんなええもんがあるで」と商売を持ちかけ、まんまと売ってしまうのでした。

 彼はテント村のなかでも商売をしていました。小さなテレビにアンテナと車のバッテリーをセットにしたものをテント村の他の住人に売り、バッテリーの電気が切れたら、一回500円で充電するのです。そうすることで、この公園のホームレスの人たちはテレビを観ることができるし、彼はバッテリーの充電でずっとお金を儲けることができたのです。

 ほかにも、三輪自転車にリアカーをつけて、資源ごみの日を狙って大量のアルミ缶を集めるルートを独自に見つけているようでした。

親方的な気質

 自由とは何かを考えたくて不自由な場所に来てみたら、不自由な場所で自由に暮らしている人と出会えたのだから、面白くないわけがありません。彼はとても社交家で、公園を訪れるお巡りさん、教会や野宿者支援のボランティアの人たちとも仲良くしていました。また、とても面倒見がよく、私にしてくれたように彼がキープしている小屋に居候として滞在する人もたくさんいました。

 「自分が困ったときにつらかったから、困っとる人を見かけたらほっとけんのや」大工もやっていた彼は、親方的な気質で困っている人には手助けしたいという思いを強く持っていました。

 しばらくテント村に滞在して、一度目の帰省(?)をする時には、青空の下で焼肉をご馳走してもらいました。

最初は面白いおじさんだったが……

 こんな面白いおじさんと出会えて自分はラッキーだ、ここでじっくりフィールドワークをしようと決めて、しばらくしてまたテント村を訪れました。

 今度も再開を喜んでくれると思って、テント村にやってきました。ところが、おやじさんはあまり嬉しそうではありません。帰れとは言いませんが、迷惑そうですらあります。もっとも、私も彼に迷惑はかけたくないし、小屋を貸してもらえれば、仕事を手伝って役に立ちたいと思っていました。また、少し時間が経つと、面倒見のいい側面が顔を出してきました。

こっぴどく叱られる

 初めて彼に叱られたのは、借りていた小屋に置いてあったトイレットペーパーを使ったことについてでした。公園はトイレと水道をは自由に使えるのですが、トイレットペーパーは自分で用意しなければなりません。おやじさんが貸してくれた「ゲストハウス」にはトイレットペーパーも置かれていたので、ありがたく使わせてもらっていました。

 しかし、二度目の訪問で同じようにトイレットペーパーを使っていると、突然「勝手にトイレットペーパーを使うな!」と怒られてしまい、びっくりしました。一体どうしたのでしょうか。

 その他、ふつうに暮らしているだけで、いろんなことで叱られるようになりました。二度目の訪問の時に手土産の一つも持ってこなかったのは常識的な礼儀を欠くことだったかもしれません。小屋の戸をきちんと閉めておけだとか、誰かにものをもらったら同じ価値のものでなくてもいいからすぐにお返しをしろだとか、思いもよらぬことで注意を受けるようになりました。何をしても怒られるような感じがして、テント村での暮らしは落ち着かないものになりました。

 特につらかったのが、朝起きてくるのが遅いと責められることでした。みなさんよくお分かりだと思いますが、10代、20代の若いころはとにかく朝起きれません。がんばって6時くらいに起きてギリギリ、7時に起きてくると「よう寝るなあ」と嫌味を言われました。

 おやじさんの仕事を手伝って役に立てるようになれば嫌味も言われなくなるだろうと、仕事を手伝いたいとお願いしました。しかし、実は公園の暮らしはとてつもなく退屈です。おやじさんはどこかから拾ってきてため込んだものを、あれでもないこれでもないと引っ張り出してはしまい、引っ張り出してはしまいしていて、手伝おうにもその姿をぼーっと見ているしかありませんでした。

 時にはこれが夜中まで続きます。「先に寝とってええで」と言われるので、23時過ぎに先に休ませてもらうのですが、彼はその後も作業を続けている様子です。そして、朝は私より早く起きていて、昼寝をしている様子もありません。

今回の課題——なぜ叱られていたのか

 ここで今回の課題です。私はなぜ彼に叱られるようになったのでしょうか。今回の課題は、その理由を考えてメールで送って下さい。

 メールは授業時間内に送るようにして下さい(金曜日の2限なら2限、3限なら3限の時間帯)。宛先はこれまでと同じように jinken.ibu[at]gmail.com ([at]を@に置き換えて下さい)です。件名欄に「学籍番号 氏名 課題3」を入力して送って下さい。

佐藤郁哉『フィールドワーク 増訂版——書を持って街へ出よう』新曜社

 授業と合わせて本の紹介などもしていこうと思います。今回は、最初に申し上げた「フィールドワーク」という言葉に関連して、フィールドワークの入門書を紹介します。

 フィールドワークという言葉は、実際にはいろんな使われ方をされます。ちょっと現地を訪れて社会見学のように案内してもらうことをフィールドワークという場合もありますが、このような軽い使われ方は私はちょっと抵抗があります。インタビュー調査をフィールドワークと呼ぶのも、まちがいではないけど、それがフィールドワークのすべてだと思われると嫌だなと感じてしまいます。

 私がそんなふうに感じてしまうのは、私が学んだフィールドワークが、基本的には「参与観察」と呼ばれるものだったからだと思います。参与観察とは、フィールドワーカー自身がフィールドに住みつき、フィールドの人たちと同じような生活を送りながら調査を進める方法です。ふだん自分が生活しているのとは異なる世界に出かけ、そこで暮らす人たちの当たり前の生活と同じ目線でものごとを理解していくやり方が私は好きなのです。

 そう言われても、ではその参与観察というのはどうやって行うのかと言われると、説明しにくいところがあります。インタビュー調査では、相手が語ってくれる言葉があるので、それをメモしたり、録音したりといった具体的なノウハウがあります。私たちのふだんの生活では行わないような調査の技術があるのです。

 ところが参与観察の場合、「そこに暮らす人たちの当たり前の生活と同じ目線で見る」わけですから、インタビュー調査で想定されるような「ふだんの生活で行わないような調査の技術」みたいなものを、具体的に紹介することができません。初心者は「とりあえずフィールドに行って3ヶ月暮らしてこい」と尻を叩かれて、試行錯誤しながら自分のやり方をつかんでいかねばなりません。

 今では、参与観察も含めていろんなフィールドワークの入門書が出ていますが、私がフィールドワークを始めた頃に参照できる本はあまり多くありませんでした。あまり多くなかった中の一冊がこの本です。

 学問や研究というのは基本的には孤独なもので、フィールドでは独りでさまざまな課題と向き合わねばなりません。次回以降でお話しするかと思いますが、私の西成公園での初めてのフィールドワークも苦労の連続で、自分はフィールドワークに向いていない人間なのではないかと落ち込みました。

 ところが、世界的に有名で、立派な本を書いているフィールドワーカーたちも、フィールドでは実は泣き言を漏らしていることが、この本で紹介されています。

フランスの人類学クロード・レヴィ=ストロース

 調査地で話し相手になってくれる人が、どこかに行ってしまったために過ごす無為な時間。……調査研究の対象に到達するために、これほどの努力と無駄な出費が必要だということは、私たちの仕事のむしろ短所と看做すべきで、何ら取り立てて称賛すべきことではない。……確かに、六ヶ月の旅と、窮乏と、むかむかするようなやりきれなさとの犠牲を払って、まだ記録されていない神話一つ、あるいは氏族名の完全なリスト一つを採録することもある(採録そのものは数日、時には数時間で終わる)。

イギリスの人類学者ブラニスラフ・マリノフスキーの日記

 三日(火)もあまり調子が良くなかった。朝、村へ行ったが、誰もいなかったのでかっとして家に帰ってしまった。ノートを見直そうと思ったのだが、実際は新聞を読んだだけだった。翌日(四日)、誰かインフォーマントになる人物はいないだろうかと思って、イグアに村まで調べに行かせた。またしても誰もいなかった。仕方なく家にいた。

 「こんなことをやってても何もわからないかもしれない」——日々そんな不安を抱えながら、フィールドワーカーは調査に取り組んでいます。新たにフィールドワークに挑戦しようという人に一つだけアドバイスができるとしたら、私は日記をつけることをお勧めすると思います。目には見えないもの、つかもうとしてもすり抜けていくものに形を与えるためには、自分自身の気づきを手がかりにする必要があります。

 「自分には何も気づけない」と思っても、日記をつけておけば、「このことについては何の気づきも得られなかった」という気づきが得られます。また、その時は何も気づけないと思っていても、後から読み返すと、その時にはすでに気づきが芽生えていたことがわかることもあります。無駄だと思える時間も、積み重ねていけば、価値を持ってくるのです。記録をつけることは気づくこと、理解することの第一歩となります。

ホームレス問題へのイントロダクション

はじめに

 この授業は「現代社会と人権」です。ibu.netの課題でも書いたように、四天王寺大学に入学した学生は、1年次に「現代社会と人権」を必修単位として受講することになっています。「現代社会と人権」は複数の担当者がいますが、この授業の担当の渡辺です。

 この授業では、ホームレス問題を中心に勉強していきます。今年は新型コロナウイルス感染症の世界的な流行により、このようなオンライン形式での開講となりました。毎回長くても30分程度の動画と、毎回課題に取り組んでもらうことで授業を進めていきたいと思います。

 その際、学生のみなさん一人ひとりが感じることや経験を社会とのかかわりを意識しながら理解を深めていってもらいたいと思います。

フィールドワークとは何か

 第1回目の講義では、まずみなさんに「フィールドワーク」という言葉を知って欲しいと思います。「フィールドワーク」とは、日本では「野外調査」などと訳されます。「フィールドワーク」は自然科学でも、社会科学でも用いられる研究の方法です。「野外調査」とあるように、研究室や自分の日常から離れて、自分が知りたいことを調べるために出かけていくことを言います。

 「フィールドワーク」をする人のことを「フィールドワーカー」と言います。楽しみのために旅行に行ったり、ただ外に出かけたりすることを「フィールドワーク」とは言いません。「フィールドワーク」で大切なことは、自分が出かけていった先で調べたことを、他の誰かに伝えるということです。自分の経験を誰かに伝えるためには、その経験を記録しておく必要があります。そして、その記録を手かがりにして何らかの形で報告をまとめなければなりません。出かけていく先のことを「フィールド」と言います。フィールドワーカーはフィールドで経験したことの面白さ、フィールドで出会った人たちや物事の魅力を、そのフィールドを知らない人たちに伝えようと努力します。

広い世界を知ることは自分の世界を知ること

 フィールドワークには、自分自身であるフィールドワーカー、フィールドで出会う人たち、そして、フィールドワークの成果を受けとる人たちの三つの立場があることになります。これからみなさんが大学で学ぶ際に、この三つの立場を意識する必要があります。フィールドワークに出かけることは、他人の世界を知り、自分の世界を広げることです。また、フィールドワークで知ったことを誰かに伝えることで、さらに世界は広がっていきます。大学で学ぶ学問は、このように自分の世界を広げることであり、社会とのつながりを作っていくことなのです。

 この授業の最初の課題として、みなさんには新型コロナウイルス感染症が広がる世界の中で、自分自身の生活をふりかえって記録をつけてもらいました。フィールドワークという意味では、どこかへ出かけているわけではありませんし、この外出自粛が続く中では、そもそもどこかへ出かけていくこと自体が難しい状況にあります。しかし、見方を変えれば、この一変した世界は、これまでの生活とはまったく別のもので、現在のみなさんの生活自体が新たな世界を経験している真っ最中だと言えます。みなさんの現在の生活自体が、否応なく巻き込まれたフィールドであると言えなくもありません。短い期間ですが、この授業では、今の生活自体も題材にして、勉強の機会に役立てていきたいと思います。

 広い世界を知ることと、自分の世界と出会いなおすこと、自分が十分知っていると思っていた世界の別の見方を身につけることとは、つながっているのです。

ホームレス問題へのイントロダクション

ホームレスの人たちとの出会い

 今回の授業では、私自身が出会ったホームレスの人たちの話をしたいと思います。これは、私自身の初めてのフィールドワークでもあります。
 みなさんはホームレスの人たちの姿を見かけたことがあるでしょうか。もしかすると、話したことがあるという人もおられるかもしれません。私が大学に入ったのは、もう20年以上前のことです。大学生の時に私は人類学を勉強していました。人類学のゼミに入ると、卒業論文を書くためには、最低でも3ヶ月どこかへ行って、フィールドワークをしなければなりませんでした。

 どこでどんなフィールドワークをしたらいいのか、私はなかなか決めることができませんでした。ただ、高校生のころから、「自由とは何か」ということを考えたいと思っていました。そこで、「自由とは何か」について考えるためには、逆に自分が不自由だと思えるような生活をしている人たちのところで暮らしてみたいと思いました。そうしてあちこち出かけているうちに出会ったのが、ホームレスの人たちが暮らすテント村でした。

2001年の大阪市・西成公園のテント村

 私がフィールドに選んだのは、大阪市西成区にある西成公園という公園にあるテント村でした。当時は日本全国でホームレス生活をする人たちが増えた時期で、全国で20,000人を超す人たちがホームレス生活をしていました。その半分近くが大阪で暮らす人たちでした。

 ふつう、ホームレスの人たちは、できるだけ人目につかないところで、ひっそりと暮らしています。しかし、大阪だけで9,000人近くの人たちが野宿生活をしていると、隠れようと思っても隠れられるようなものではありません。大阪市内だけで、大きな公園にいくつものテント小屋が建てられて、それが200軒、300軒と集まっていたので、自然と「テント村」と呼ばれるようになりました。

 当時の西成公園のテント村には、200軒以上のテント小屋が建てられ、200人以上のホームレスの人たちが暮らしていたことになります。

 わたしが大学生活を送っていた福岡県の北九州市でも、商店街を歩くとポツンと立ち尽くしている薄汚れた身なりの人や、大通りでお金の無心をしている人の姿、都市高速の高架下に数軒のテント小屋を見かけることがありました。それくらいであれば、一部の不幸な例外だと思って、見ないふりをしたり、避けて通ることもできます。しかし、大阪では、とても一部の不幸な例外だと片付けられない規模でホームレスの人たちが存在しており、これは明らかに社会に問題があって、何か失敗しているのだと思い知らされました。

なぜホームレス生活を送る人たちが増えたのか

 日本でホームレスの人たちが増えて、社会問題になったのは1990年代の後半のことですから、やはり20年以上の時間が経っています。なぜホームレス生活を送る人がいるのかというと、一番大きな原因は仕事がないからです。「選ばなければいくらでも仕事はあるのではないか」「死ぬ気になれば仕事くらい見つかるのではないか」と思うかもしれません。しかし、何とか仕事にありつけたとしても、毎月の家賃を払えて、ごはんを食べられるだけの収入が得られなければ、ホームレス生活をせざるをえないのです。いったんホームレスになってしまうと、仕事を探すのも難しくなります。

今回の課題

なぜふつうの人がホームレス生活になるのか

 ホームレス生活になってしまう一番の原因は、仕事がないことだと述べました。もちろん、それ以外にもいろんな原因があります。諸外国と違って、日本では生まれながらのホームレス(親もホームレスで、ホームレスの親から生まれたホームレス)はいません。みんな元は家に住んで、ふつうの生活をしていたのです。では、ふつうの生活をしていた人がホームレス生活になってしまう原因は、仕事以外にどんなことがあるでしょうか。

 今回は、ふつうの生活をしていた人がホームレス生活になってしまう原因を考えてみて下さい。これだと思うものを箇条書きにするだけでも構いませんし、こうではないかという理由も考えついた人は、それもあわせて書くようにして下さい。

 課題の提出は、前回と同じように jinken.ibu[at]gmail.com ([at]を@に置き換えて下さい)にメールで提出して下さい。また、提出する際は件名欄に「学籍番号 氏名」を書くようにして下さい(学籍番号と氏名を書いてもらうのは、提出者のリストを整理するためです。「1234567 山田太郎 課題2」というように、書いて下さい。「学籍番号」という文字を入れる必要はありません。また、数字は半角英数にして下さい)。

 課題は添付ファイルではなく、メール本文に書いてもらったほうが助かります。

 課題と合わせて、授業の感想や質問もお待ちしています。

提出締め切り

 提出は、授業時間終了後の30分以内までとします。それ以降に提出した場合、無効、あるいは原点の対象となります。シラバスでは、この授業の評価は期末テストとしていましたが、オンライン授業に変更されたことを考慮して、平常の課題と期末課題とをあわせて評価に変えます。

前回の課題について

 初回の課題を未提出の人は、今回に限り、今週の日曜日中まで締め切りを延期します。初回の課題についてはIBU.netの授業課題「2020/4/20(月) 休講期間中の課題について(必ずチェック)」を確認して下さい。