「現代社会と人権」渡辺拓也

四天王寺大学で開講されている「現代社会と人権」のオンライン授業用の教材です。無断転載や受講者以外への不要な拡散は控えて下さい。

ホームレス生活に陥るさまざまな要因

ホームレス生活に陥るさまざまな要因

 前回の授業では、普通に暮らしている人がホームレス生活に陥る一番大きな原因は「仕事がない」ことであると述べました。仕事がなければ家賃が払えなくなります。家賃が払えなくて、家から出る、あるいは追い出されてしまうと、新たに仕事を探すこと自体が難しくなります。

 前回の課題で、なぜふつうの人がホームレス生活になるのか、その原因をみなさんに考えてもらいました。ホームレス問題は、いろんな原因がからまりあって引き起こされます。たとえ仕事を失ったとしても、それだけですべての人がホームレス生活になるわけではありません。失業したとしても、失業保険に入っていれば、しばらく暮らしていけるだけのお金は確保できるかもしれません。また、まとまった貯金があれば、貯金で食いつなぎながら次の仕事を探すこともできるでしょう。

 お金がなかったとしても、頼れる家族がいるかもしれません。共働きの世帯なら、相手の収入と合わせてなんとか乗り切ることができるかもしれないし、実家の両親に助けてもらえることもあるでしょう。しかし、家族というのはありがたいものであると同時に、自分自身を縛ったり、負担となったりする場合もあります。児童虐待を繰り返す親、家庭内暴力をふるう親や配偶者から逃げ出してきたという人もいます。

 家族とは頼るばかりではなく、頼られるものでもあります。家族が病気になったり、介護が必要になったり、障害を負ったりすれば、その助けは家族が担うように期待されます。24時間付ききりで介護が必要ともなれば、働きに出ることもできません。私が出会ったなかにも、奥さんが介護が必要になり、仕事を辞めて奥さんが亡くなるまで面倒を見て、貯金が尽きて家を追い出されて野宿するようになったという人がいました。

 地震や火事など、思わぬ被害に見舞われて財産や仕事を失ってホームレス生活に行き着いたという人もいるでしょう。また、本人の健康状態の悪化、加齢なども生活条件の悪化に関係してくるはずです。

カフカの階段

 一つひとつは小さなことでも、いろんなことが組み合わさってくることで、階段を一段ずつ落ちるように不安定な状態になっていきます。階段をすべて転がり落ちた先にホームレス生活という最下段があるという絵を思い浮かべて下さい。もし、ホームレス生活が一段ずつ階段を転がり落ちるようなものだとすれば、その階段を一段ずつのぼっていけば元の生活に戻れることになります。しかし、ことはそう簡単ではありません。

 仮に10段ほどの階段を転がり落ちたとします。一段一段は大した高さではないし、高さを小分けにして連ねることで上り下りを便利にしたのが階段という発明です。ホームレス生活に陥るまではこの階段を一段ずつ落ちていくのですが、ホームレス生活から抜け出そうとする時には、この10段が、高さが変わらないまま1段になってしまっているのです。

 家がなければふつうの仕事が探せない、仕事が見つかっても給料日までの生活費がない、借金取りに追われているので住民票を置くことができないなど、いろんな要因がからみあって、もとは階段だったはずの坂道が、高い壁となってホームレスの人たちの前に立ちはだかります。ホームレスの人たちの置かれたこのような状態を、生田武志さんは作家のカフカのエピソードになぞらえて、「カフカの階段」と名付けました。

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生田武志:(野宿者問題の授業のための)「いす取りゲーム」と「カフカの階段」の比喩についてhttp://www1.odn.ne.jp/~cex38710/game.htm

「貧困」の五つの条件

 野宿者支援にも取り組んできた社会活動家の湯浅誠さんは、「貧困」には五つの条件があると言っています。その条件とは以下のようなものです。

  1. 教育課程(学校教育)からの排除
  2. 企業福祉(正規雇用)からの排除
  3. 家族福祉(家族の支え合い)からの排除
  4. 公的福祉(生活保護など)からの排除
  5. 自分自身からの排除

 これらの条件も、相互に関係しています。進学したくても進学できない、勉強したくてもできない背景には、もともと貧しい家族のもとに生まれ育ったということがあります。十分な学校教育を受けられなければ、安定した仕事に就く道が限られてきます。家庭が貧しくとも、家族の生活や子どもの学びを支える制度があれば、本人のがんばり次第で貧困から抜け出すことができるかもしれません。しかし、それでもその人がふつうより大変な努力をしなければならないことには変わりがないし、「チャンスを与えてもらったのに、それをモノに出来なかったのは自分のがんばりが足りなかったのだ」と考えてしまいがちです。何か失敗をして意欲を失ってしまうのは、本人のせいばかりではありません。むしろ意欲があるからこそ、それがうまくいかなかったときの挫折感も深くなります。

 こうした負の連鎖に陥らない社会、抜け出せるような社会にするためにはどうすればよいでしょうか。何かアクシデントに見舞われたり、失敗した時の備えになるものを、セーフティネットと言います。セーフティネットは必要なものですが、セーフティネットがあればいいというものでもありません。セーフティネットがあったとしても、何度も落下するような生活では疲れてしまいます。

ホームレス生活は自由なのか

 前回お話ししたように、私のはじめてのフィールドワークは2001年の大阪のテント村でした。200軒以上のテント小屋のある公園で、5月から9月頭にかけての延べにして2ヶ月ほどの期間、私は住み込みの調査を行いました。ある人からテント小屋を借りて、しばらくテント村で生活したのです。

 私の関心は「自由とは何か」ということで、それを考えるために、自分が不自由だと感じるところに逆に行ってみようと思ったからでした。

まるで自由なホームレス

 ところが、私が西成公園で出会ったのは不自由どころから、ふつうの人よりも自由に暮らしているのではないかと感じさせられるような人物でした。当時67歳の彼は、内縁の奥さんと一緒に悠々自適の生活を送っていました。

 公園に個人的に電気を引くことはできません。しかし、彼はガソリンで動く発電機を持っていて、その発電機で起こした電気で、テント村で電化製品を使っていました。電化製品はみんな拾ってきたものです。洗濯機を使って洗濯をしたり、テレビとビデオデッキで映画を上映したりして、毎夜テント村では映画観賞会が開かれていました。一つひとつは小さなものですが、9軒ある彼の小屋の一つでは、ウィンドウクーラーを設置して夏場は涼んでいました。

 私自身の住んでいた小屋も、彼から貸してもらっていたものでした。テント村をはじめて訪れた際、寝袋をくくりつけたリュックを背負っている私の姿を見て、「泊まるところないんやったら、小屋をひとつ貸してやる」とふいに言われたのがそのきっかけでした。

ホームレスの商売人

 発電機を持っているホームレスの人は他にいないわけではありませんが、彼ほどのバイタリティのある人はそうはいないと思います。もとは電気屋もしていたという彼は、拾ってきた電化製品を修理しては売りに行っていました。それも、中古ショップに持っていくのではなく、街中で知り合った人に「こんなええもんがあるで」と商売を持ちかけ、まんまと売ってしまうのでした。

 彼はテント村のなかでも商売をしていました。小さなテレビにアンテナと車のバッテリーをセットにしたものをテント村の他の住人に売り、バッテリーの電気が切れたら、一回500円で充電するのです。そうすることで、この公園のホームレスの人たちはテレビを観ることができるし、彼はバッテリーの充電でずっとお金を儲けることができたのです。

 ほかにも、三輪自転車にリアカーをつけて、資源ごみの日を狙って大量のアルミ缶を集めるルートを独自に見つけているようでした。

親方的な気質

 自由とは何かを考えたくて不自由な場所に来てみたら、不自由な場所で自由に暮らしている人と出会えたのだから、面白くないわけがありません。彼はとても社交家で、公園を訪れるお巡りさん、教会や野宿者支援のボランティアの人たちとも仲良くしていました。また、とても面倒見がよく、私にしてくれたように彼がキープしている小屋に居候として滞在する人もたくさんいました。

 「自分が困ったときにつらかったから、困っとる人を見かけたらほっとけんのや」大工もやっていた彼は、親方的な気質で困っている人には手助けしたいという思いを強く持っていました。

 しばらくテント村に滞在して、一度目の帰省(?)をする時には、青空の下で焼肉をご馳走してもらいました。

最初は面白いおじさんだったが……

 こんな面白いおじさんと出会えて自分はラッキーだ、ここでじっくりフィールドワークをしようと決めて、しばらくしてまたテント村を訪れました。

 今度も再開を喜んでくれると思って、テント村にやってきました。ところが、おやじさんはあまり嬉しそうではありません。帰れとは言いませんが、迷惑そうですらあります。もっとも、私も彼に迷惑はかけたくないし、小屋を貸してもらえれば、仕事を手伝って役に立ちたいと思っていました。また、少し時間が経つと、面倒見のいい側面が顔を出してきました。

こっぴどく叱られる

 初めて彼に叱られたのは、借りていた小屋に置いてあったトイレットペーパーを使ったことについてでした。公園はトイレと水道をは自由に使えるのですが、トイレットペーパーは自分で用意しなければなりません。おやじさんが貸してくれた「ゲストハウス」にはトイレットペーパーも置かれていたので、ありがたく使わせてもらっていました。

 しかし、二度目の訪問で同じようにトイレットペーパーを使っていると、突然「勝手にトイレットペーパーを使うな!」と怒られてしまい、びっくりしました。一体どうしたのでしょうか。

 その他、ふつうに暮らしているだけで、いろんなことで叱られるようになりました。二度目の訪問の時に手土産の一つも持ってこなかったのは常識的な礼儀を欠くことだったかもしれません。小屋の戸をきちんと閉めておけだとか、誰かにものをもらったら同じ価値のものでなくてもいいからすぐにお返しをしろだとか、思いもよらぬことで注意を受けるようになりました。何をしても怒られるような感じがして、テント村での暮らしは落ち着かないものになりました。

 特につらかったのが、朝起きてくるのが遅いと責められることでした。みなさんよくお分かりだと思いますが、10代、20代の若いころはとにかく朝起きれません。がんばって6時くらいに起きてギリギリ、7時に起きてくると「よう寝るなあ」と嫌味を言われました。

 おやじさんの仕事を手伝って役に立てるようになれば嫌味も言われなくなるだろうと、仕事を手伝いたいとお願いしました。しかし、実は公園の暮らしはとてつもなく退屈です。おやじさんはどこかから拾ってきてため込んだものを、あれでもないこれでもないと引っ張り出してはしまい、引っ張り出してはしまいしていて、手伝おうにもその姿をぼーっと見ているしかありませんでした。

 時にはこれが夜中まで続きます。「先に寝とってええで」と言われるので、23時過ぎに先に休ませてもらうのですが、彼はその後も作業を続けている様子です。そして、朝は私より早く起きていて、昼寝をしている様子もありません。

今回の課題——なぜ叱られていたのか

 ここで今回の課題です。私はなぜ彼に叱られるようになったのでしょうか。今回の課題は、その理由を考えてメールで送って下さい。

 メールは授業時間内に送るようにして下さい(金曜日の2限なら2限、3限なら3限の時間帯)。宛先はこれまでと同じように jinken.ibu[at]gmail.com ([at]を@に置き換えて下さい)です。件名欄に「学籍番号 氏名 課題3」を入力して送って下さい。