「現代社会と人権」渡辺拓也

四天王寺大学で開講されている「現代社会と人権」のオンライン授業用の教材です。無断転載や受講者以外への不要な拡散は控えて下さい。

ホームレスをしている理由

なぜホームレスをしているのか

フィールドワークで出会うこと

 前回の課題では、みなさんそれぞれがやってみたいフィールドワークについて書いてもらいました。この授業で関心を持ってホームレスの人たちや釜ヶ崎について知りたいという人もいれば、アメリカやアジアなどの貧困地域に行ってみたいという人もいました。また、過疎地や農村で暮らしてみたいというものや、自然や動物について調べてみたいというものもありました。その他、高齢者や児童の施設に興味があるという人もいました。

 フィールドワークと観光が異なるのは、嫌な思いをすることや失敗することを否定しないというところにあると思います。あこがれの場所に行って、長く過ごしたり、関わり続けたりするうちに、私たちが普段暮らしていれば当たり前に遭遇するようなトラブルが起こることもあるでしょう。そういったトラブルも、自分で選んで行ったことである以上、自分の力で乗り越えていかねばなりません。

 普段暮らしている時に出くわすトラブルは嫌なものですが、フィールドでのトラブルは、自分に新しいものを教えてくれる贈り物かもしれません。フィールドワークにのぞむときは、弱い自分でも弱いままでちょっと強くなれるのです。

フィールドワークとインタビュー

 さて、西成公園でのフィールドワークを終えた私は、新しいフィールドを探さなければなりませんでした。福岡の大学を卒業して、大学院に進学するために大阪に引っ越してきたとなると、家があるのにわざわざテント村で住み込み調査をするというのも変な話です。住み込み調査でなければ、テント村やあちこちに暮らしているホームレスの人たちを訪問し、インタビュー調査をすることもできます。しかし、私はインタビュー調査がしたいわけではありませんでした。

 インタビュー調査はとても面白いものです。インタビュー調査でなければ知ることのできないこともあります。例えば、その人の過去の経験、この社会の過去の出来事などは、インタビューでお話を聞かせてもらわなければ知ることができません。本やテレビなどで知ることのできることはほんの一部でしかありません。実際にその時代を生きた人の話はとても新鮮で、驚きと発見に満ちたものになるでしょう。

 また、人の心の中に入り込むことができるのもインタビュー調査の面白いところです。私たちは普段暮らしている時にも「この人はこんなふうに感じているんだな」と理解したり、反応を見て心の内を推測したりしています。しかし、他人が心の中で何をどんなふうに感じているのか、考えているのかは、突っ込んで聞いてみなければわからないし、普段の生活ではなかなかそういったチャンスがありません。

 インタビュー調査では、改まった状況で話を聞かせてもらうので、普段聞けないような深い話を聞くことができます。フィールドワークをしているうちでも、誰かの話を深く聞くことは必要になってきます。インタビューをお願いしてお付き合いを続けているうちに、その人を取り巻くより広い事情を理解していったり、その人の人生そのものとのかかわりを持つようになることもあるでしょう。

 しかし、それは結果的にそうなるという話であって、私は、最初から他人の生活や人生の一部を切り取って何かを理解したような気持ちにはとてもなれないように感じていました。「多分こうだろう」という仮説をあらかじめ用意して、その証拠を集めるようなやり方では、結局自分の頭の中で考えたことの範囲を出ることができません。まずは自分の頭の外から出て行って、他人の世界を理解することを通して、結果的に自分が元いた世界のあり方を見直したかったのです。

 今思えば「自分の世界を見直したい」というわりに頭が硬いし、どっちかというと自己中心的なこだわりに囚われているようなところがありました。しかし、人間は常に何かに縛られているし、何に縛られているのかを自覚的に理解するためには、あえて何かに縛られにいくことが必要なのかもしれません。「自由になるためには不自由にならないといけない」とでも言ったらよいでしょうか。

「わしらがホームレスをしている理由」

 2003年3月半ばに大阪に引っ越してきた私は、さっそく西成公園をたずねました。おやじさんは再度生活保護を受けて安定したアパート暮らしをしていましたが、テント村にいたときにできた知り合いに会いにきたのです。

 この時に、自分が書いた卒業論文をその知り合いに渡しました。矛盾する思いから目をそらすかのように帳尻をあわせて書いた文章を渡すのはあまり気が進まないことでしたが、彼から「お前はぼんやりしているようで、見るべきところは見ている」とコメントをもらって、ほっとすると同時に、こんなことでほっとしていていいのかなという気持ちもありました。

 そこへ、彼のテント村の友人が訪ねてきました。私がテント村にいる時には話したことはありませんでしたが、私のことは覚えていてくれたようです。「ホームレスに興味を持ってやってくる若者」「ホームレスのことを調べにくる大学生」というのは、さほど珍しいものではありません。ホームレス生活を送る人たちは、自分たちに対して「怖い」というまなざしが向けられているのもわかっているし、逆に好奇の目で見る人間がいることもわかっています。面白半分でやってくる人間をうっとうしく感じる気持ちもあります。

 「お前はぼんやりしているようで……」というコメントは、おやじさんのところで毎日叱られて、右往左往していた哀れな若者が、それでも最後には公園の生活についてまとめて、報告にきたということ自体を評価してくれた部分が大きかったのだと思います。

 とはいえ、それは私がテント村で暮らしていた時から交流のあった彼との間でのことであり、この友人にとっては私は初めて話す相手でしかありません。この友人はさらなる課題を私に突きつけることになりました。彼は私にこう言いました。

「わしらがホームレスをやっている理由は飯場に入ってみないとわからない」

飯場とは何か

建設業と飯場

 飯場とはなんでしょうか。文字通りみれば、「飯を食う場所」であり、泊まり込みの施設を指す言葉です。飯場とは、主に建設業の仕事をする際に、労働者が泊まり込みで働く施設のことを言います。

 建設業では、同じ場所でずっと働くということはありません。建物であれ、道路であれ、何かを造り、それが完成すれば、また次の別の場所に何かを造りに行く仕事です。工事現場が交通の便の悪い場所にあったり、その仕事ができる人間を近場で集められないような場合は、宿泊施設を設けて、完成までの期間、泊まり込みで働いてもらわなければいけません。

 このような施設を古くは飯場と言いました。今では必ずしも飯場とは呼びません。飯場といえばプレハブ造りの仮設宿舎だったような時代もありますが、あまり劣悪な施設だと働く人も嫌がるので、ホテルや民宿を借りて一時的な宿舎の代わりにすることもあるようです。あるいは、一軒家を借りて、そこでルームシェアするようなケースもあります。

 ある瀬戸内の島で、島の外から工事に来てくれる人たちのために用意された飯場に泊めてもらったことがあります。1階に大きな食堂スペース、数台の洗濯機、いくつかの個室トイレ、大きな浴場があり、2階は和室や洋室が5室くらい整備された、大きな建物でした。スケールはともかく、内装や基本的な造りはふつうの一軒家と変わらない、しっかりした建物でした。

現場飯場と人夫出し飯場

 しかし、この友人が言ったのは、このような飯場のことではありません。こういった飯場は「現場飯場」と呼ばれます。特定の工事があり、その工事現場に通えるように、近くに一時的に設けられるのが「現場飯場」です。

 これとは別に「人夫出し飯場」と呼ばれるものがあります。現場飯場が、工事の工期にあわせて設置され、工事の終了後には閉鎖されるものであるのに対し、人夫出し飯場は、特定の工事とは無関係に常設されているものになります。特定の工事とは無関係に常設されているものであるということは、いわゆる社員寮のように思えるかもしれません。社員寮と異なるのは、この宿舎に住み込みで働く労働者は、入れ代わりが激しいという点にあります。

お金を払わないで済む仕組み

 人夫出し飯場は、言ってみれば建設業の「派遣労働」の拠点のようなものです。もともと「人夫出し」とは、人手を必要とする事業者の求めに応じて、人間を用意する仕事のことを言います。現在でも、派遣業というものがありますが、派遣業の対象となっている職種や派遣できる仕事は制限されています。なぜなら、派遣という働き方自体が不安定なものだからです。本来の仕事のうち、一部分だけを、必要な期間だけ埋めるために用いられるのが派遣という制度です。

 アルバイトで働いた経験のある人は、アルバイトも似たようなものだと感じるかもしれません。基本的な生活は保障された上で、余裕の範囲内で働くのであれば、アルバイトやパートでも困るということはありません。しかし、大学を卒業してからもずっとアルバイトで暮らしていくというのは大変なことです。また、学生のあいだでも、ギリギリまでアルバイトをしなければ生活していけない、学業を続けられないという状態は望ましいことではありません。

 最近では、ウーバーイーツのような、新しい働き方として注目されているような仕事があります。自分が好きな時に好きなだけ働けると言えば、良さそうに思えますが、一回の配達で得られる対価は数百円に過ぎず、「好きなだけ働ける」と言っても、配達のオファーが必ずあるわけでもありません。実際には報酬なしの待機時間が仕事に含まれているようなものだし、怪我や事故にあった時の保障も契約に含まれていません。

 仕事というのは需要と供給のバランスですから、買ってくれる人がいなければ、働いてくれる人に給料を払うことができません。仕事が少ないのに人を雇い続けていると、給料を払うばかりになってしまいます。効率よくお金を儲けるためには、仕事がない時にお金を払わないで済むような仕組みが必要です。

 しかし、これは雇う側の立場からのみ考えた場合でのことです。働く側からすれば、ある仕事をするために時間を空けているわけで、雇う側の都合で呼ばれたり呼ばれなかったりするようだと生活していけません。雇う側に対して働く側は弱い立場にあるので、働く側を守るためにさまざま法律があります。ところが、最近ではこのような法律が、次々と雇う側に都合のいいものに作り変えられていっています。

雇う側と働く側は対等か

 雇う側からすれば、自分はお金になるような仕事を作って、食べさせてやっているのだから、労働者には感謝して欲しいと考えるかもしれません。確かに、新しい仕事を生み出したり、事業を軌道に乗せたりするためには、失敗や挫折もあるでしょうし、独特の才覚や努力も必要となります。ただ言われることをやっているだけで、文句ばかり言ってる労働者は気楽なものだと思うかもしれません。

 しかし、雇う側の事業にしても、働いてくれる人間がいなければ成り立たないものです。やっていることは違ったとしても、どちらもあってはじめて社会は成り立っています。「頑張った人は頑張っただけ報われる」「頑張った人がいい思いができるのは当たり前」だという競争原理は、普遍的な真理を現しているように思われます。

 競争をした時に、1等になる人は優れた人と言えるでしょう。しかし、1等の人が1等になるためには、2等の人が必要だし、2等の人が2等になるためには、3等の人が必要です。何らかのルールのもとに競争をした際に、その結果に順位をつけることがまちがっているわけではありません。順位がつけられるからこそ、誰よりも努力をしたり、新しいやり方を見つけたりといった創造性も生まれてきます。それによって社会全体が豊かになることもあるでしょう。

 ここで重要なのは、競争とは、一定のルールの範囲内で行われるもので、そのルールの当てはまらないところにまで、その競争の結果を持ち込んではならないということです。競争はお互いが高めあって、みんなが豊かになるための手段であり、人間の優劣をつける手段ではありません。

飯場に入ってみなければわからない」

 話が横道に逸れてしまいました。テント村の知り合いの友人が言った「飯場に入ってみないと分からない」というのは、人夫出し飯場を指すものです。人夫出し飯場は、その日求められた人間を、求められただけ用意する日雇派遣の拠点のようなものです。建設業の日雇派遣は法律で禁止されているので、これは違法ではないとしても、脱法的なことをやっていることになります。

 飯場で働く場合、二通りの働き方があります。一つは〈現金〉と言われるもので、これは飯場に入らず、1日だけ働いてその分のお金をもらう働き方です。もう一つは〈契約〉と言われるもので、10日、15日、1ヶ月というふうに、実働の期間契約を結んで飯場に入り、住み込みで働く場合です。

 実働の期間契約と言ったように、飯場に入ったからといって、毎日仕事があるとは限りません。仕事がなくて、休まされる場合もあります。ただ休んでいるだけならまだしも、休んでいる場合も宿舎の利用料や食費が引かれてしまいます。人夫出し飯場では、1日あたり大体3,000円くらいの生活費を、仕事の有無にかかわらず、給料から天引きされてしまいます。

 それでも、途切れずに仕事があれば、契約が終わる頃には10数万円のお金が手元に残せるかもしれません。しかし、休まされる日が多ければ、契約が終わる頃にはほとんどお金が残らなかったり、場合によっては借金になってしまうなどということも起こりかねません。
 ホームレスの人たちのなかには、建設業で働いていたという人が少なくありません。そして、多くの人が飯場で働いた経験も持っています。なぜなら、「カフカの階段」で見たように、野宿生活にいたるまでの過程は、階段を一段ずつ落ちるように進展するからです。仕事ひとつとっても、失業して転職をするうちに少しずつ不安定な仕事になり、やがて住むところを確保できなくなります。

 住むところを確保できなくなっても、いきなり野宿生活に入るのではなく、住み込みで働ける場所を見つけようとします。住み込みの働き場所として、人夫出し飯場は大きな受け皿を用意しています。その結果、野宿生活になる直前まで就いていた仕事に建設業が多くなってくるのです。

 また、人夫出し飯場は、住み込みの働き場所を探さざるをえないくらい追いつめられた人たちを狙っています。

 仕事が少ない時期の飯場は、〈契約〉を終えるまでに契約期間の3倍はかかると言われることがあります。「わしらがホームレスをしている理由」という言葉は、飯場での労働と生活が「ホームレスをするよりも大変なのだ」と言っていることになります。

今回の課題

 今回の課題7は、働くことについて思っていることを書いて提出して下さい。まだ大学に入ったばかりで、就職活動のことはまだ考えていない、まだ考えたくないという人も少なくないかもしれません。一方で、将来つきたい仕事のことを考えてこんなフィールドワークがしたいと書いてくれた人もいました。

 新型コロナウイルスの感染拡大で倒産してしまった会社や、内定を取り消されてしまったという話も耳に入るようになりました。最近思ったことでもいいし、将来について思うことでも構いません。件名に「学籍番号 氏名 課題7」を書いたうえで、jinken.ibu[at]gmail.com([at]を@に置き換て下さい)宛にメールで提出して下さい。