ホームレス生活は自由なのか
なぜ叱られたのか
前回は、西成公園のテント村でのおやじさんとのやりとりを紹介しました。親方気質で「困った人を見ているとほっておけない」と言い、コミュニケーション能力も高く、バイタリティあふれるおやじさんでしたが、二度目の訪問では態度が豹変します。その理由はいったい何だったのでしょうか。
みなさんに送ってもらった意見を読みながら、当時の自分の戸惑いを昨日のことのように思い出しました。ホームレスの人たちのテント村に住み込み調査をしているといっても、それまで独りで見知らぬところに飛び込んでいって暮らした経験などありません。世間知らずで、一般的な礼儀作法も知らないと言われれば、そうかもしれません。おやじさんに叱られて、まずは自分が悪かったのかもと謝るしかありません。
お客さんではなくなった
みなさんが送ってくれた意見のなかで、「1回目はお客さんだったけど、2回目はそうではなかったから」というものがありました。これはとても重要な視点だと思います。
確かに1回目は、会ったばかりの人だし、おやじさんの見せてくれるもの、話してくれるものにいちいち驚いてくれる「お客さん」だったのでしょう。「こんな面白いもんもあるぞ」「こんなホームレスのおっさんおらんやろ」と驚かせて楽しんでいたのでしょう。
2回目は、「ホームレスとしての生活の厳しさを教えようとした」とか、「本当は困っていないのに頼ってきたことに腹を立てていたのではないか」といった意見がありました。これももっともらしく思えますが、おそらくそういうわけではありませんでした。私は自分が大学生であることや、卒業論文を書きたくてテント村を訪れていることを伝えていましたし、決して食べるのに困っているわけではないことはわかっていたはずです。
自由で気ままなホームレス生活に見えても、毎日楽しみにあふれているわけではありません。楽しみにあふれているように見せかけているものの、実際のおやじさんの生活はそれなりの努力のもとに築かれていたのだと思います。
おやじさんの生活を支えるもの
拾ってきた電化製品を修理して、お客さんを見つけて買ってもらったり、テント村のほかの住人にテレビやバッテリーを売って稼いだりしていましたが、そのような収入は常にあるものではないでしょう。
売れるような電化製品が手に入るかどうかも分かりませんし、最初は面白がってテレビとバッテリーを買ったら人も、無理をしてまでバッテリーを充電しようとはしないでしょう。
おやじさんの生活を支えるものは、アルミ缶拾いだったのです。三輪自転車で大きなリアカーを曳き、資源ごみの日にリアカーいっぱいアルミ缶を集めて売りに行く。大阪市南部にある西成公園から、市外まで出かけていくこともあると言っていました。
どの日が資源ごみの日であるということがおやじさんから語られることはありませんでした。これは「企業秘密」だったのでしょう。深夜のうちに集めて回って、明け方には買取業者に売りに行って戻ってくるので、私が起きてくるころにはその痕跡は残っていません。
「この人はいつになったら寝るのだろう」と私は不思議に思っていましたが、考えてみれば、このような時間は、深夜にアルミ缶を集めに行くまでの時間潰しだったのでしょう。「いつになったら」も何も、彼は寝ていなかったのです。夜通し働いて疲れていても、すぐには寝付けなかったのでしょう。そのまま、午前中はストックしていた古新聞の仕分けをしていたこともあります。
そう思ってよくよく考えてみると、妙に機嫌が悪く、奥さんにも当たり散らして腹を立てた後に、昼寝をしていたことがありました。「ふて寝」したかのように思っていましたが、本当は眠くてしんどかったのでしょう。
ホームレスの人たちの仕事
収入の安定しないホームレス生活では、アルミ缶やダンボールなどの廃品回収は、がんばればがんばったぶんだけ収入が見込める仕事です。しかし、同じ労力を払ってもあまり集まらないこともあります。また、アルミ缶やダンボールの値段は時価で変わります。アルミ缶は、良い時はキロ150円になることもありますが、最近では70円にまで下がってしまっていると聞きます。
公園のほかの住人を見ていると、昼夜を問わずに出かけては戻ってきて、拾ったものを置いていきます。当時のブラウン管式の小型テレビは海外輸出用に買い取ってもらうことができました。たまに日本橋の電器屋街で買い取ってもらえるようないいものが拾えることもあったようで、嬉しそうに見せてくれたことがあります。
もっぱらエアコンの室外機を拾ってきている人もいました。エアコンの室外機にはアルミと銅がたくさん入っていて、それらを解体して金属として売ればお金になります。
ダンボール集めを専門にしているあるおじいさんは、自分のテント小屋の周りに、土手のようにダンボールを積み上げていました。たくさん集めておいて、お金が必要なときにまとめて売りに行くのだそうです。この人も、夜中でも暇さえあれば自転車で出かけていました。
集めればお金になることはわかっていても、集められるかどうかは別問題です。そこで、公園の住人たちは昼でも夜でも気が向けば巡回に出かけたし、自分なりに拾いやすい場所や時間帯を把握してもいたでしょう。
現金収入に結びつくチャンスを見逃さないように毎日生活していて、おやじさんの活発な営業活動もその一環だったわけです。
場所の大切さ
それでも、テント村の人たちの生活は路上で野宿している人たちに比べれば安定したものでした。テント村のある住人は「ここにおるのは偽装ホームレスだ。商店街で寝とるようなもんのことを調べんとあかん」などと言っていました。
テント村の住人の生活が相対的に安定したものであるのは、自分の居場所を確保できているからです。自分のテント小屋があるということは、それだけの荷物を置いておけるということだし、毎日寝る場所を探さなくていいということです。
商店街のアーケードのシャッターの前や路上で寝ている人たちは、シャッターが下りるまでは横になることができないし、商店が開店する前には片付けてどこかへ移動しなければなりません。荷物を持って移動しなければならないとなると、生活のための道具や衣類の量も制限されてしまいます。
その点、テント小屋があれば、日中仕事に出かけているあいだ、荷物を置いておけます。その季節は使わないようなものも、次のシーズンまで置いておくこともできます。
拾ってきたアルミ缶やダンボール、その他、換金可能なものをストックしておくこともできます。お金になりそうなものが手に入っても、それがすぐに換金できるとは限りません。しばらく置いておいて、時期が来れば売りに出すということができれば、それだけ生活には余裕が生まれます。
また、野宿していると、襲撃の危険もあります。テント村でより集まって住んでいれば、この襲撃の危険も相対的に低くなります。
こんなふうに、野宿生活をする上で、自分のために使える場所があるということはとても大きな意味を持ちます。もっとも、これは私たちの生活も同じです。「帰る家がある」というのは、単に寝る場所というだけでなく、さまざまな財産を守ることができるということでもあります。一度ホームレスになると、長年使っていた、そうした財産も失ってしまうということにも注意が必要です。
公園の人間関係
テント村の人間関係は、このような生活の事情と大きく関わっています。
「自分の小屋がある」といっても、それは公園だったり、河川敷だったりするわけで、いつ追い出されるかわかりません。
テント村に住んでいると、おやじさんと近所の人たちはしょっちゅうケンカをしていました。「ここは俺の場所だ! ここからはみ出して荷物を置くな!」と文句を言われたと思ったら、「ここは公園だ! 市の土地で、お前の土地じゃない!」などと言い返します。「市の土地で、お前の土地じゃない」とはそのとおりなのですが、そういう自分も市の土地に小屋を建てているのだから、何の反論にもなっていません。
このやり取りからは、それだけテント村の人たちが自分のテント小屋を重要なものだと思っていることがわかります。みんなちょっとした後ろめたさを感じつつも、テント小屋があるからこそ、この生活が守れていることがわかっているのです。それだけに、「誰の場所か」と議論になると、冷静ではいられないのでしょう。
テント村の贈与
また、おやじさんの言葉に「何かもらったら必ずお返しをしろ」というものがありました。おやじさんは「わしはお返しは要らん。やったもんはやったもんや。やけど、お返しをせんかったら絶対何か言われるんや。それが嫌なんや」「同じ価値のものを返す必要はない。何でもええから返しとけばええんや」と言います。
しかし、「何かもらったらお返しをする」というのは結構難しいことです。相手がくれるものは何も貴重品というわけではないし、無ければ困るというものでもありません。
あるテント村の住人が、「こぎれいなTシャツを拾ったのだが、自分には小さすぎるから」とくれたことがありました。私は着るものに困っているわけではありませんでしたが、テント村で暮らすようになって、ほかの人が親切で余ったものを分けてくれることを純粋にうれしく感じました。しかし、おやじさんは「お返しをしろ」とうるさく言います。何か適当なものをと思っても、なかなかそういうものがないし、無理にお返しをしようとしても、かえって変な顔をされてしまいます。
すでに述べたように、自分のテント小屋があれば、「いつか役に立つかもしれない」ものを貯めておくことができます。自分では使わないものでも、新品同様で捨てておくのはもったいないようなものもあるでしょう。そういうものがあれば、誰か必要な人にあげて感謝されるのも悪くありません。もともとはタダで手に入れたものです。「これは使えるかもしれない」ものを手に入れるために日々目を光らせていて、しかし、偶然手に入ったものも、必ずしも役に立てられる場面もないので、だったら他の知り合いに分けてあげようという贈与の文化があります。
ここにあるのは助け合いの文化だと言えるでしょう。交換や贈り物は、仲間意識を作り出すことにもつながります。しかし、人間同士ですから、ちょっとしたことで行き違いが起こることもあります。そのような時に「あの時、あんないいものをやったのに、あいつからは何ももらったことがない」と腹が立つことがあるかもしれません。
何かをあげる時に、必ずしも返してもらえることを期待しているわけではありません。相手に喜んでもらって、自分が拾ってきたものも役に立って、それで満足していたはずです。「お返しをしないから悪い」わけではなく、人間関係が悪くなった時に、お返しをしなかったことが問題にされるのです。
このようにテント村の生活は結構気を使うものです。おやじさんは自由気ままを気取った生活を送ろうとするので、テント村では敵の多い人でもありました。そのおやじさんにとって、「身元を預かっている人間が下手なことをすれば、自分に累が及ぶかもしれない」と思うと、私のふつうのふるまいも気になって仕方がなかったという事情があったのです。
今回の課題
課題4
今回の課題は二つあります。一つ目は、「ホームレスは自由なのか」また、「自由とは何なのか」について、あなたの考えを述べて下さい。
メールは授業時間内に送るようにして下さい(金曜日の2限なら2限、3限なら3限の時間帯)。宛先はこれまでと同じように jinken.ibu[at]gmail.com ([at]を@に置き換えて下さい)です。件名欄に「学籍番号 氏名 課題4」を入力して送って下さい。
課題5
もう一つの課題は、みなさんの現在の生活についてです。緊急事態宣言が全国的に解除されることになりました。また、遠隔授業がはじまってから3週間が経ちました。課題1と同じように、課題1の締め切りだった5月1日から現在までの、自分の生活をふりかえったレポートを課題5として提出して下さい。課題5はIBU.netの「課題管理(レポート)」の機能を使って出すので、そちらから提出して下さい。こちらの締め切りは6月4日(木)までとします。