「現代社会と人権」渡辺拓也

四天王寺大学で開講されている「現代社会と人権」のオンライン授業用の教材です。無断転載や受講者以外への不要な拡散は控えて下さい。

新型コロナウイルス感染症はどうなるのか

 課題1では、みなさんが新型コロナ感染症を意識しはじめてから最近までの受け止め方、出来事を書いてもらいました。

共通点と相違点

 読んでいて面白かったこととして、大体どの人も認識が変わる時期やきっかけとなる出来事が共通している点です。

 一回生のみなさんは、高校の卒業式が縮小された経験をしています。卒業式が1月に開かれた学校では例年通りの卒業式ができたそうです。卒業式がそんなに早くある学校もあるということを知らなかったので、いろんな経験の違いがありうるのだなと思いました。

 また、みなさんせっかく予定していた卒業旅行をキャンセルしたという経験をされています。一方で、新型コロナウイルス感染症のことを気にしながらも韓国旅行に行ったという人もいました。3月頭あたりだと、危機感は抱かれつつも、まだそのランクは一段低かったようです。

 3月末にタレントの志村けんさんが亡くなったニュースについては多くの人が書いていました。そして4月になり大学の入学式も無くなってしまい、自宅学習をしている現在に至ります。

認識が変わるポイントと納得の仕方

 ポイントポイントで意識が変わる様子が見てとれます。そのなかでも「自分自身が感染することより、他人に感染させないために」という受け止め方をするようになっているところが目に留まりました。多くの人にとって「自分が感染するということにリアリティが持てない。しかし、何らかの行動制限は必要である」となった時に、「他人に感染させないこと」という理由がしっくりきたのだと思います。

 はっきりした判断ができない状況でも、人間は合理的な判断をしようとするし、その根拠を見つけようとします。しかし、どこまでが自分の判断と言えるのか。どういう意味で合理的なのか。今後私たち自身、どのような判断を「合理的」だと受け止めていくのでしょうか。その答えは未来になってみなければわからないし、また過去を振り返ってみなければわからないことでもあります。未来を知るためには過去を知る必要があります。